「おっさん、おっさん」
「なんじゃい。あれ。何でまた来たんだ?」
「へへへ。ちょっと忘れ物してましてな」
「ふーん。忘れ物ねえ。ところで、おめえ。お昼に何食った?」
「・・・・」
「道を歩きながら時々、俺の家は確かあそこの角のところを右に回ったんだよな。左じゃあなかったよな、と独り言を言っていないか」
「・・・・」
「ボケが始まったようだな。お前も苦労したからのう。」
「・・・・」
「それで、その忘れ物というのは、いったい何なんだい?」
「・・・・」
「こりゃあ重症だ」
「ちょっと待ってください。今、胸に手を当てて、ようく考えてみますから。・・・・。そうそう、思い出しました。どうか、ご安心ください。おっさんね。どうして退却したのかい?」
「ああ、それはな。うーむ。退却という言葉の定義を知っているか?」
「それは、しりぞくという意味でしょう」
「一般的には、それでよい。しかしな、特殊な意味もあるのだ。よし、今日はお前に特別講義をしてやろう」
「はい、森山教授。どうかよろしくお願いします」
「言っておくがな。わしは、そこらの無能教授と違うぞ。」
「ハーイ、よーく分かってますです。ハーイ」
「そもそも大学の講義というものはだな。学生が前もってテキストや基本書に目を通して予習していることが前提である。その前提がなければ、ただの授業になる。大学で授業なんかやっているから、無能教授だらけになるのである。これはな、学生が悪いのだ。バイトだパチンコだといって、一日中、遊び呆けている。試験の直前に他人のノートをコピーさせてもらって、単位だけちゃっかりもらおうとする。勉強する気がないのなら、大学生になんかなるな。勉強もしないで卒業証書だけちゃっかりともらおうというのでは、そんな紙切れ一枚にどんな価値があるのか。わしはな、遠山敦子という女子学生に、専門外の法律の講義をしてやった。この学生は怠け者でぐうたらぐうたらしておるから、法律の初歩から手を取り足を取りして教えてやらなければならなかった。理解力の低い学生でな、懇切丁寧に教えてやっても中々理解できないのだ。いやあ、疲れたぞ。講義ではなく授業を行なわなければならなかったのだ。それなのにな、このいかれ学生は、わしの授業を受けても感謝もしない。ありがとうございましたの一言も言えないのだ。あきれたものだ。しかも、授業料さえ払ってはおらん。このぐうたら女子学生は、驚くなかれ、後に文部科学大臣になったぞ。いやあ、わしゃあ腰を抜かすほど驚いた。講義の前に基本書やテキストを読み、講義の後に図書館などに行って復習することができないような学生は、さっさと退学せよ」
「森山先生」
「なんじゃい」
「ひとつ質問してもよろしいでしょうか」
「質問だと?アホンダラ。話はこれから佳境に入るところだ。質問なんかで水をさすな。だいたいな、大きな顔をして質問するだと?なんだ、そのぞんざいな態度は。もっとな、他人に対する優しい態度、思いやり、こまやかな心遣い、愛情あふれる態度というものを身につけるべきである。もしもな、有能教授のわしがお前の質問に答えられなくて立ち往生したらどうする。そうなったら、わしは駄目人間になってしまうではないか。この世の終わりがやってくるではないか。もっと人にやさしくなれ、アホンダラ」
「なにもそんなにポンポン、ポンポン言わなくても。いえ、先生。どうもさっきから考えていたんですけど。講義の内容が、いつのまにか違ってきているような気がしてならないんですけど」
「なんだと?講義の内容が違うだと?おかしいな。どこで違ってきたのかな。おい、学生君。わしは何の講義をしていたのかな?」
「有能な森山教授。お忘れになったんですか」
「・・・・」
「先生。今日のお昼に何食べましたか」
「・・・・」
「ほらね。ボケかかっていますよ。先生はね、合戦の話をしようとしていたんですよ」
「合戦か。合戦というと、いろいろと面白い話があるな。松山城(これは高松城の間違い)の籠城、風林火山、毘沙門天、川中島の戦い、真田昌幸、上田城の攻防、義経の鵯越、義仲の倶利伽羅峠、富士川の合戦。」
「あのね、先生。そんなんじゃなくて、退却という言葉の定義の話でしたよ」
「おお、そうかそうか。はいはい、ちゃんと思い出しましたよ。どうか、ご安心ください。えっへん。そもそも、退却という用語には、ただ単に、尻尾を巻いて逃げるという意味のほかに、極めて重要な特別の意味が存するのである。学生諸君、きちんとノートしておくのだぞ。もしかしたら、試験に出るかもしれないぞ。その重要な特別の意味とは、退却とは一旦しりぞくかに見せかけて、折を見て隙を見て敵を急襲することである。どうだ、ノートとったか」
「はい、先生。ちゃんととりました」
「よろしい。今日の講義は、ここまで」
「おっさん。これが講義ですかい。なんか、授業よりレベルが低いような気がしてきた」
「なんだと。失礼なことを言うな」
「はいはい。よくわかりました。有能教授と無能教授の違いは、無能な教授は自分は無能だと自覚しているに対して、有能な教授は、本当は無能なくせに自分を有能だと誤解している人種の人である、ということでよろしいんですね」
「この野郎。水ぶっかけてやろうか。いや、無能教授と有能教授との間の一番大きな違いはだな、教育面に表われてくる。無能教授は研究できないけれども、学生をきちんと教育しているかというと、必ずしもそうとはいえない。だいたいな、学生を研究室に呼んでだな、学内のいろんな人のプライバシーに関わるような噂話、悪口、陰口をたたいている。大勢の学生が見ている前で、古狸におべんちゃらをいう。これはな、教育者としても失格だ。つまり、研究者として役立たずな教授は、教育者としても役立たずなのだ。本業で仕事ができない者が人を教育できるわけがない。」
「ふんふん、成程。それで、おっさん。無能な小島教授にどうして詐欺の被害に遭ったのか、まだ分からないのか。」
「いや、それは分かった。」
「え?分かった?いつ?」
「一昨日だ」
「ほう。それで、どうする?」
「どうもしやしない。分かったからといっても、これまでと特に変わるわけではない」
「ユング派のほうは?」
「それも分かった」
「いつ分かった?」
「一昨日だ」
「ということは、同時に分かったのか?」
「そうだ。一連のからくりが全部わかった。根は同じところにある。全くものを考える力のない者が、格好つけやがって。センチメンタルなヒューマニズムというものは、時として極めて危険であるということが、考える力のないものには分からないようだ。センチメンタルなヒューマニズムは、人間愛からは遠い。愛からも遠い。そしてセンチメンタルなヒューマニズムは、えてして人を踏み潰してしまうことがある。殺人さえも犯してしまいかねない。だから、ものを考える力をつけよ、と言っているのだ。」
恐ろしい、偽善的なユング派を早く叩き潰してください。僕とユング派とは、倶に天を戴かず、です。
ユング派がストーカーのように見えだしてから、つまり元々のストーカーにユング派が加わり協力するようになってから、もうかれこれ二十数年経ちました。ストーカー行為をされていれば、現実を失います。現実を失えば、自我が危殆に瀕します。その間、極寒の世界でたったひとり震えていました。外国に逃げても、やつらが追いかけてくるということは、日本以外の国の“Jungian”が協力している可能性があります。どうか、世界中の“Jungian”を叩き潰してください。“Jungian”は、どの国の“Jungian”であっても非人間的です。