2015年1月28日水曜日

自我の問題

 最近、名古屋大学の女子学生が殺人事件を起こしたようだが(新聞報道参照)、この学生は小学校と中学校の9年間、道徳の副教材「心のノート」を学習していたはずなのに何にもならなかった、ということになる。道徳の副教材「心のノート」は、徒労であったにすぎず金の無駄遣いにすぎなかったのである。
 名大生の事件こそ自我の問題そのものではないか。“Kenkou Houshi”がいっていることと同じではないか(「自我を失ったら4」http://gorom2.blogspot.com/2015/01/blog-post_25.html)。自我が育っていないのである。
 自我を強化するためには、考える力を育成することが肝要である(「考える力を育てる」http://moriyamag.blogspot.com/2013/12/blog-post_6483.html)。不道徳で反社会的な河合隼雄に道徳の副教材「心のノート」を作成させて日本の子ども全員に配布する金があるのなら、その金を国語教育の充実に注ぎ込んだほうが、はるかに建設的であろう。国語、とりわけ現代国語こそ考える力を育てるに最適の教科である。その次が数学である(「考える力を育てる」http://moriyamag.blogspot.com/2013/12/blog-post_6483.html)。
 この学生は名古屋大学生だから、かなり高い学力の持ち主である。国語や数学の成績はわからないが、国語や数学が不得意科目であったとしても、ある程度の水準には達していたはずである。それなのに何故自我が弱く、育っていないのか。教育のあり方そのものが、根本的に問われているとしか考えられない。国語の授業も数学の授業も、生徒の自我を育てるのに資していないのである。学校でユング派の書いた文章を読ませたり、大学入試でユング派の文章を問題文として出題していては駄目なのである。教育そのものを根本的に見直すべきだ。

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