2015年9月27日日曜日

まっしろいこころ

あべえみこ まっしろいこころ
https://www.youtube.com/watch?v=1eHGQD0VM78

 これは子ども向けに作られたものであり、子どもに向かって歌われる歌だろうと思う。そして、この演奏はNHKの子ども向けの音楽番組での演奏だったのだろう。僕は子どもの頃に、NHKの音楽番組でこの曲を何度も聞いたことがある。改めて、NHKに感謝する。
 「まっしろいこころ」とは、どのようなことをいっているのだろうか。人は、年をとるにつれて大切なものを失くしていく。その「大切なもの」を、一応、芸術の創造の源泉のようなものだと仮定する。まことの芸術家というものは、子どもの頃に既に彼か彼女の創造性の端緒・突破口のようなものに出会っているのではないかと思う。しかし、多くの芸術家は、この端緒や突破口のようなものを、世の中の塵埃にまみれるにつれて、どこかに置き忘れてしまいがちなのである。
 この「まっしろいこころ」という歌は、これが芸術であると絶対的な自信をもって言えるわけではないけれども、ある意味では芸術的な高みにまで達している曲である。ええ?こんなに貧相で貧弱なつまらない曲が、どうして芸術なのか?とお思いの人は、ユング派のような、世の多数派である芸術とは縁のない人種の人であることを自覚していたほうがよい。でないと、遠山敦子のようなユングにいかれたモンスターが、か弱い芸術家達を踏み殺してしまいかねないのである。そういう人は、絢爛豪華なワーグナーの楽劇にでも熱中していればよいのである。小泉純一郎のように。ただし、ワーグナーの作品は芸術ではない。
 芸術の美とは、豪華な大輪の薔薇の花や色鮮やかなチューリップの花の美しさではなく、一見、貧相で貧弱な小さな野の花の美しさである。

 「まっしろいこころ」を歌っている歌手は、一級の芸術作品と言ってもよいポーランド民謡の「春が呼んでるよ」をも歌っている。やはり、子どものために歌われている。こちらのほうも素晴らしい演奏である。

あべえみこ 春が呼んでるよ
https://www.youtube.com/watch?v=i-0MTQYDC6A

(youtubeのURLのリンクを勝手に貼ってもよいのだろうか。このような問題に詳しい人がおられましたら、教えてください。
goromoriyama(at sign)gmail.com )

2015年9月26日土曜日

姉こもさ

 姉こもさは秋田県の民謡である。本当に難しい曲である。これは女性しか歌えない。しかも、ソプラノでないといけないと思う。アルトでは、なかなか情感が出しにくいのではないだろうか。この歌の歌い手には、繊細さと線の細さが要求される。だから、アルトよりもソプラノのほうがよいと考えたのである。僕は昔、この曲をミュージックテープで持っていた。その民謡歌手が高い声の持ち主だった。その演奏は、この歌の演奏の理想的な形であるように思われた。
 とにかく難解な曲である。メロディが複雑であることもさることながら、詞がまた難しい。題名さえ、どういう意味なのか分からない。おそらくは秋田県地方の方言なのではないだろうか。
 したがって、この曲を鑑賞するにあたっては、主にメロディだけを取り上げて鑑賞することにする。日本人の男の子は、姉や叔母や従姉や近所のお姉さんに対してほのかな慕情を感じるときに、その慕情の中に何か悲しみに似たような情緒が紛れこむことがある、と僕は考えている。このことは、僕が始めて言い出したことではないかもしれない。前に誰かが述べていたような気もする。この「姉こもさ」を聞きながら思った。小さな男の子が年上の女性にほのかな慕情を寄せている。その慕情に、かすかな悲しみのような感情がない交ぜになっているのである。男性の方は、自分の子どもの頃のことを思い出してほしい。このような経験がなかっただろうか。これは日本人特有の感情のあり方だろうか。中国や韓国などのアジアの諸国の人々ならば、同じような感情の形態がありうるのではないかという気がしないでもない。それならば、欧米人の場合はどうなのだろうか。
 しかし、以上のことは、この曲の作曲者が男性であるという前提に立たなければ成り立ちにくい。しかしながら、姉こもさの作曲者が男性である可能性は低いと思う。このような難曲を、男性が女性に歌ってもらうつもりで、女性のためにわざわざ作曲したなどということがありうるだろうか。しかも、これは自然発生的に生まれたと思われる民謡なのである。やはり女性が作曲した、初めて歌いだしたのが女性であったとみるほうが自然であろう。姉こもさの作曲者が女性であるとすると、日本人の女性の心の中でも、日本人の男性の心の中で生起していることと同様のことが起きているはずだということになる。
 姉こもさと似たような情感を醸し出している歌に、宮崎県民謡の「ひえつき節」がある。この歌は、姉こもさに比べると、詞の意味が分かりやすい。恋仲の男女の女性のほうは、平家の落人の子孫である。男性のほうは、平家を追討していた源氏方の大将の子孫である。ロミオとジュリエットの日本民謡版なのである。この歌の場合、恋愛情緒に悲しみの情緒がない交ぜになっているということの意味が非常に分かりやすい。
 「ひえつき」とは、稗搗き。穀物の稗を、臼のような容器に入れて杵で搗いて脱穀するのである。これは女性の仕事であった。村の集会場のような作業場に、近所から何人かの女性が集まってくる。井戸端会議のようになる。四方山話に花を咲かせながら、稗を搗く。そのうちに話題も尽きてきて、みんな黙りこくって静かになる。女性たちは、ただひたすら稗を搗く。そのときである。そのうちのひとりの女性が歌を歌いだした。誰かに教わったわけでもない。その女性が自分でひとりでに口をついて出てくる歌を歌っているのである。他の女性達は、その歌にしばらく耳を澄まして聞いていたが、ああ、これは中々いい歌だと思って、これに和す。このようにして、ひえつき節は誕生したのだろう。ひえつき節は労働歌なのである。
 そこで、このひえつき節に関しては、次のような疑問が湧いてくる。最初にこの歌を歌いだした女性(いわば原作曲者)は、この歌の中で歌われているf悲恋の女主人公と同一人物なのかどうか、という疑問である。作曲者が物語の主人公その人自身であってみれば、この歌に対して極めて高い評価をあげてもよい。この歌にこめられている恋愛情緒にない交ぜになっている悲しみの感情は、これを経験した本人自身の生の本物の感情だということになるからである。もしもそうでないなら、第三者がこの物語に接して主人公に感情を移入して作られたものだとするならば、この歌で歌われている感情は、本物の生のものではないことになる。中世の歌人が、昔、何かの物語で読んだ場面を思い浮かべながら作歌するのとよく似ている。すると、この歌の悲しみの情緒は、歌の物語を伝え聞いた人の、物語から受けた印象ということになる。この場合であれば、この曲に対する評価を前の場合に比べて少し下げなければならなくなってくる。

朝倉理恵「雨だれ」 https://www.youtube.com/watch?v=-yAffjm9ZjE 

 現代のこの曲にも、やや幼い感じのする恋の恋心の中に悲しみのような感情が紛れこんでいる。「さみしがりや同士 肩寄せ合って 伝え合うのよ はずむ恋の芽生え」というフレーズもある。歌手は女性であるが、作曲者は男性である。したがって、恋愛情緒の中に紛れこんでいる悲しみのような感情は、この場合には男性のものとも女性のものとも言えるだろう。
 朝倉理恵さんは、僕が大好きな女性歌手である。しかし、朝倉さんは、歌手として非常に成功したとは言えなかったようである。こんなにきれいな声で、こんなにすばらしい歌唱力を持っているにもかかわらず。ポピュラーミュージックの世界でも、やはりこのようなことが起きている。本当に実力のある人が報われないのである。このような状況は、ユング派がのさばることによって、様々な方面でいっそうひどくなった。

2015年9月19日土曜日

国勢調査の回答を拒否する(3)

 前に、僕への支援のために国勢調査の回答を拒否してほしいとお願いした(「国勢調査の回答を拒否する(2)」 http://gorom8.blogspot.jp/2015/09/2.html )。もしも僕を助けるために、あえて回答を拒否しようと考えられておられる方がいらっしゃいましたら、どうか、僕のことを考慮に入れないで御自分の判断でなさってください。というのは、僕は回答を拒否しますが、実はある手続きを急ぐことになり、その手続きをふまえると自動的に回答拒否になり、罰則を課される余地がなくなるのです。そうなると、罰則を覚悟で回答拒否をしていただいた方がおられるとすると、その方を裏切るような形になるのではないかと考えたわけです。もちろん、国が違法行為・犯罪行為をなしているのですから、国が自分の都合のよいときだけ法律の規定を持ち出すのはおかしいのですけど。


安倍晋三、よく聞け」( http://gorom8.blogspot.jp/2015/09/blog-post_18.html )に、一箇所だけ一文を書き加えた。赤の背景。大したことはないだろうが、ちょっと書いてみたかった。

2015年9月16日水曜日

遠山敦子の犯罪(2)

遠山敦子の犯罪」( http://gorom8.blogspot.jp/2015/09/blog-post_4.html )の告発状に、最後の段落を付け加えた。紫の背景。

2015年9月15日火曜日

国勢調査の回答を拒否する(2)

 僕は国勢調査の回答を拒否するが、他の人が、僕の知らない人が、やはり僕と同じように拒否されても構わないと思う。国が、国民に対して違法行為・犯罪行為をなしているのだから、国は法令を遵守するつもりがない、ということである。それならば、国民には法令で定められた義務を履行する義務はないということに必然的になる。だから、このことは、すべての国民にも言えることなのである。僕のように、文部科学省のすさまじいばかりの犯罪・違法行為の被害者である必要は特にない。そのように国勢調査の回答を、多くの人が拒否していただければ、僕への力強い支援になると思う。
 これは違法行為を煽っているのではない。遠山敦子のような犯罪者と一緒にしてもらっては困る。正当防衛だ。または、目には目を、屁には屁を、だ。

2015年9月14日月曜日

国勢調査の回答を拒否する

 国勢調査の回答を、国民健康保険への加入を拒否するのと同様に拒否する。ただ、国勢調査の場合は、健保の場合のような手続きなしでも拒否は可能である。これで罰則を課されたりしたら、たまらん。国は、国民に対して犯罪行為・違法行為を行っていながら、自分の都合のよいときだけ、違法だとか何とか言って、国による違法行為の被害者である国民を法律の規定を持ち出して罰することができるのか。その前に、文部科学省の違法行為・犯罪行為を処罰してくれ。
 これからも、国民の義務である納税や確定申告などをも拒否していく。文部科学省やユング派をねじ伏せるまで、こんなことを続けていかなければならないのか。

                                                        理由書

総務大臣殿
 
 私は国勢調査の回答を拒否します。法律の規定があり、回答しなければ罰則があるとしても、回答しません。
 私は文部科学省によって虐待され続けてきました。詐欺、脅迫、仕事の妨害、職場に虚偽の誹謗中傷を行って職を辞めざるをえなくするなどの犯罪行為を伴いました。文部科学省という国家機関が個人に対して犯罪・違法行為をなし、犯罪被害をいくら訴えても無視して取り合ってくれないのです。こんな国で、どうして個人に対して法令を遵守せよと強いることができるのでしょうか。私に国勢調査の回答を強制されるのなら、まず、その前に文部科学省の私に対する犯罪行為の処罰を行なっていただきたいと存じています。
 以上のような理由から、国勢調査の回答を拒否します。
 インターネットで回答しなかったといって、調査員を私の家によこさないでください。大喧嘩になるかもしれません。調査員が法律を盾にとって理不尽な不当な要求をしたら、調査員をぶん殴らなければならなくなるかもしれません。この場合でも、私を罪に問うことができるのですか。冗談ではない。そもそも国は、法律を守る気なんかないではないか。

(追記)
 私は、京都の龍谷大学で詐欺犯罪の被害に遭いました。その詐欺の実行犯が文学部の小島勝教授(教育学)でした。正犯は別にいます。そして、この詐欺事件の背後には、文部科学省がいると考えるのが自然でしょう。この小島勝教授は、冷酷で恐ろしい人物です。こんな人物とはお近づきにはなりたくなかったのですが、向こうから勝手にヘラヘラ笑いながら近づいてきたのです。そして詐欺犯罪を行って、私が抗議すると一転して、無視して相手にしてくれません。返事さえしてくれません。文部科学省、つまり国が個人に対して犯罪行為をなし、国に被害を訴えても取り合ってさえくれない。私は龍谷大学に乗り込んで行って直談判しなければならないのですが、このような状況では、その際にこの邪悪で恐ろしい小島勝教授から暴力を振るわれる可能性が大いにありますね。一度、犯罪に手を染めた者は、再び犯罪を行なう可能性が高いのです。そうするとこの場合、私としては黙って殴られっぱなしというわけにはいかないでしょう。乱闘になるでしょう。最悪の場合、殺人事件に発展するかもしれません。私に対して、文部科学省が違法行為・犯罪行為を行い、いくら訴えても取り合ってもらえないのだから、つまり国は法律を遵守するつもりがないのだから、私が自己防衛上、やむなく小島勝教授に暴力を振るい、また結果として小島教授を死に至らしめても罪を問われることはないのですね。この点を、龍谷大学に直接談判に出向く前にちょっと確認しておきたかったのです。無論、警察や検察にも確認をとり、決して私を犯罪者には仕立てないという保証を得ておきたいと思います。国からも、私の罪を問わないという保証をもらっておきたいと存じます。
 国民健康保険への加入を拒否する手続きは、事情があって少し先延ばしにしなければならないが、国勢調査の回答拒否については、その手続きを践む必要はない。
 私に対する文部科学省による虐待については、ブログにも書いておきました。森山梧郎の「ユング心理学批判」。
http://moriyamag.blogspot.com
 文部科学省による虐待には、途中からユング派も加わったようです。ユング派の第一人者であった河合隼雄を、文部科学省は破格の待遇でもって優遇し重用していました。


 この件については、総務省は、調査員などを巻き込むような真似をしないでください。文部科学省は、龍谷大学を使って龍谷大学構内で詐欺犯罪事件を行ないました。そのために、この犯罪事件の真相が実に分かりづらくなってしまいました。本来は関係のない第三者を、何人か事件に巻き込んだかもしれません。総務省は、文部科学省のような卑しいことを行なわないでいただきたいと存じます。

☆「二世、三世議員」(http://gorom8.blogspot.jp/2015/09/blog-post_11.html)に書き加えました。灰色の背景箇所。二箇所。

2015年9月4日金曜日

遠山敦子の犯罪

遠山敦子の犯罪
 遠山敦子が行なった犯罪について、当サイトの姉妹サイトの記述が分散していたために分かりづらいので、改めてまとめておく。遠山は、僕をfacebookで追跡していた。facebookで追跡しても無駄だ。文部科学省の犯罪行為を伴う虐待によって、友人は離反していった。家族や親戚も離れていった。結婚したいと思う好きな女性がいたが、やはり離れていった。
 当サイトの姉妹サイトは、『真幸くあらばまたかへり見む (Forested Mountain)』http://gorom2.blogspot.com/と『真幸くあらばまたかへり見む(OCEAN)
http://ameblo.jp/dwuu/である。
 facebookで追跡するほど気になるのなら、堂々とメールか手紙を寄越せばよい。そのくせ、こちらからメールすると知らん振りして無視する。龍谷大学文学部の小島勝教授、大取一馬教授や龍谷大学当局者も同じだろう。文部科学省の役人達も同様だろう。今更言うまでもないことだが、遠山敦子元文部科学大臣は、元文部官僚でもある。人のことを気にかけていながら、その当の相手が何か話しかけてくると冷たく無視する。僕を虐待しているやつらに共通する性格的特徴である。
 自分で言うのも情けない限りだが、僕は若い頃、「かわいい」とか言われて結構女性に好かれた。ただ僕の好かれ方は、ワーワー大騒ぎされるような表立った好かれ方ではなく、「陰ながら、お慕いしています」というような感じだった。だから、僕自身には、ある女性が僕を好いているのかどうか中々分かりにくい。第三者の口を通して僕に伝わってきて、初めてそうだと分かるのである。20歳代のときに、ある女性から陰湿ないじめを受けて、すっかり参ってしまった。その女性は、7~8歳ほど年上であり結婚して子どももいる。僕はこの女性からの理不尽ないじめに心を傷つけられて、仕事にまで影響するほどだった。ところがある日、見かねたある男性が、僕もその女性も含めて何人かいる中で次のように言った。「Aさん(僕をいじめていた女性のこと)はBさん(僕のこと)のことを、とても気にしているよ」。え?「気にしている」とは、どういうこと?、と思ってその女性のほうを見やると、恥ずかしそうに俯いてもじもじしている。これで、すべてを了解することができた。その女性が僕をいじめていたのは、僕を嫌っていたからではなかったのである。この出来事は、僕に大きなダメージを与えた。いじめられて仕事にまでも影響していたこともさることながら、もっと重大な損害が待っていたのである。「気にしている」発言のその場に臨席していたのは、ほとんどが男性であった。「気にしている」発言から幾許かの日数を経過すると、今度は「気にしている」発言に同席して聞いていた男性達が、いじめどころではない、すさまじいばかりの僕に対する迫害をしだしたのである。それはもう、集団リンチといってもよいほどのものだった。この陵虐を突き動かしていたのは、嫉妬に似た感情から変化した憎悪であろう。このとき以来、僕は今に至るまで死線をさまよわなければならなくなったのである。原因は、もうひとつある。文部科学省の僕に対する重大な誤解である。この誤解も、僕についての虚偽の誹謗中傷を行ない、様々な犯罪行為を仕掛けてくる重大な契機になっている。
 人に対して、関心をもっていながら、その相手の人物を無視して、何を言いかけても相手にしない、または相手を冷酷なやり方で虐待するならば、その相手の人物を地獄に突き落とすことになる。ただ徒に、相手の人物を苦海に沈めるだけなのである。先ほどの例に挙げた僕を陰湿にいじめていた女性は、僕に対する感情に道徳的なひけ目を感じていたからこそ、僕をいじめていたのである。そのように、道徳的に自分自身を許せないのなら、そして自分の感情をうまく処理することができないのなら、さっさと自身が属する環境を完全に変えてしまうべきであろう。僕がいない環境に移るべきだったのだ。これをやっておかなかったから、卑しい行動になってしまうのだ。
 ユング心理学なんかにのめり込むと、どうしても人格が卑しくなるようだ。自分ひとりだけ、麻薬か覚醒剤を使用したときのように、いい気分になってラリっているがその行動は実に卑しく、他者を苦海に沈めこむのである。自分さえよければよい、と考えるのがユング派の特徴的性格だ。このような不道徳で反社会的な連中を許すことができるか。一刻も早く人間社会から立ち去ってもらおうではないか。
 遠山敦子の犯罪について、誰も告発してくれないので、結局僕が告発しなければならなくなるかもしれない。この記事は、遠山敦子の告発状にもなる。
 正直なところ、警察にはあまり連絡したくなくなった。文部科学省の犯罪によって死に瀕していると訴えても、知らんふりをして無視するのである。警察は、日本政府、つまり内閣の支配下、コントロール下にあるのではないだろうか。そうすると、またまた新たな疑いが生じてくる。文部科学省の僕に対する犯罪を、内閣は黙認しているのではないか、もっと言えば後押ししているのではないか、という疑いである。そうなると、僕は尚更日本にいられなくなる。やはり、どこかの国に亡命しなければならなくなる。
 

元文部科学大臣遠山敦子の犯罪を告発します

 遠山敦子には、新国立劇場理事長であったときに次のような奇妙な行動がありました。「『天下りなのに舞台内容にまで口を出す。前に出すぎて現場を混乱させることもしばしば』と辛口。08年には芸術監督3人を一斉に交代させる人事を打ち出し、演劇部門では、劇作家の井上ひさし氏ら演劇人らが『不透明な選考過程を開示せよ』と声明を出す事態に発展したこともあった。」(朝日新聞2011年1月6日付「天下り理事長代わるか? 新国立劇場人事に芸術界注目」http://www.asahi.com/special/minshu/TKY201101050330.html)。
 前半部分の「舞台内容にまで口を出す」のは、理事長の職権を逸脱しています。越権行為になります。新国立劇場理事長職を私物化しているようです。新国立劇場で上演される演劇はプロの演出家が演出しているのですが、素人の遠山が「舞台内容にまで口を出す」ことになれば、そのプロの演出家の作品をめちゃくちゃにして破壊したことになります。たとえば絵の場合ですが、画家が絵を描いているところに行って、「なんだ、下手糞な絵だなあ。私が描いてあげよう」と言って、画家から絵筆を取り上げて、その絵に描き込みをするのと同じです。この行為は、芸術作品破壊行為になるでしょう。器物損壊罪の構成要件に該当します。遠山が破壊した芸術作品は演劇でしたが、絵の場合と同様の破壊活動でしょう。ただ問題なのは、絵の場合と違って演劇活動は物ではないということです。しかしこれは、電気のケースを類推すればよいと考えます。電気は、もともと物とは考えられていなかったのですが、裁判所(大審院)が電気窃盗の被害の救済措置として財物と看做していました。電気と演劇活動とは似たような状況にあると考えます。ですから裁判所は、演劇活動に対する遠山の破壊行為につき、器物損壊罪の成立を認めてくれるだろうと考えます。また、遠山の行為は、業務妨害罪の構成要件にも該当すると思います。さらに、新国立劇場の観客達はパンフレットに記載されているプロの某演出家の作品を鑑賞するつもりでわざわざ新国立劇場に足を運んだのです。ところが実際に観せられたのは、遠山が口を出してめちゃくちゃにしてしまった作品でした。これは詐欺罪に該当します。観客達は新国立劇場に対して、チケット代金の返還とそれに伴う損害賠償の請求を行なうことができます。新国立劇場が誠意をもって支払いに応じない場合は、観客は新国立劇場を相手どって集団訴訟を提起してもよいでしょう。然る後に、新国立劇場が遠山に求償することになるでしょう。それから、演劇の他にオペラ等でも遠山は芸術作品の破壊行為を行っているのではないかと考えられます。これについても捜査していただければと存じます。
 新聞記事の後半部分の芸術監督3人をくびにしたことは、信用毀損罪または業務妨害罪になります。コミュニケーションをとるのが下手だという理由で解雇したようですが、芸術家がコミュニケーションが下手だというのは当たり前のことではありませんか。実際には、遠山が信奉するユング心理学の思想に適合しない芸術家を粛清したものと考えられます。遠山はユング心理学の妄想体系にとり憑かれて、なんの芸術的文学的素養もセンスもないくせに、突然自分を芸術家だと思い込んだらしいのです。これは精神病と言ってもよろしいでしょう。
 遠山敦子は文部官僚であったときに、ユング心理学の虜になったようです。それで不道徳で反社会的な犯罪者であるユング派の河合隼雄を中教審の委員や文化庁長官に任命したり、日本の子ども全員に配布される道徳の副教材「心のノート」を作成させたりするのに中心的な役割を果たしました。ユング心理学は恐ろしい心理学です。この心理学の虜になったものは、非人間的で反社会的になります。犯罪さえも犯しても構わないと考えるのです。どうか捜査してください。また、私のブログでも書いておきました。「遠山敦子、目を覚ませ(5)」( http://ameblo.jp/dwuu/entry-11972101479.html )以降。
  なお遠山敦子については、私に対する文部科学省による犯罪行為・違法行為に主導的・中心的な役割を果たしていたのではないかという疑いがあります。文部科学省の私に対する虐待には、途中からユング心理学のユング派(河合隼雄や氏原寛が中心的存在)が結託して、共同で行なっていたようだからです。文部科学省は、ユング派の第一人者であった河合隼雄を、破格の待遇でもって優遇し重用していました。その河合隼雄の厚遇について、遠山敦子が率先して行なっていました。ですから、文部科学省とユング派による犯罪・違法行為をまじえた私に対する虐待には遠山敦子も関与していたのではないかと考えています。遠山敦子を逮捕されましたら、どうか私に対する文部科学省とユング派による犯罪・違法行為についても、取り調べていただけないでしょうか。

2015年9月2日水曜日

国民健康保険に加入しない理由書

 厚生労働大臣に提出した「国民健康保険に加入しない理由書」です。

(以下、コピー)

理由書

厚生労働大臣殿

 私は国民健康保険には加入しません。法律の規定があり、強制加入であっても加入しません。これは違法状態になりますか。
 私は文部科学省によって虐待され続けてきました。詐欺、脅迫、仕事の妨害、職場に虚偽の誹謗中傷を行って職を辞めざるをえなくするなどの犯罪行為を伴いました。文部科学省という国家機関が個人に対して犯罪をなし、犯罪被害をいくら訴えても無視して取り合ってくれないのです。こんな国で、どうして個人に対して法令を遵守せよと強いることができるのでしょうか。私に国民健康保険への加入を強制されるのなら、まず、その前に文部科学省の私に対する犯罪行為の処罰を行なっていただきたいと存じています。
 以上のような理由から、国民健康保険への加入を拒否します。

(追記)
 私は、京都の龍谷大学で詐欺犯罪の被害に遭いました。その詐欺の実行犯が文学部の小島勝教授(教育学)でした。正犯は別にいます。そして、この詐欺事件の背後には、文部科学省がいると考えるのが自然でしょう。この小島勝教授は、冷酷で恐ろしい人物です。こんな人物とはお近づきにはなりたくなかったのですが、向こうから勝手に近づいてきたのです。そして詐欺犯罪を行って、私が抗議すると一転して、無視して相手にしてくれません。返事さえしてくれません。文部科学省、つまり国が個人に対して犯罪行為をなし、国に被害を訴えても取り合ってさえくれない。私は龍谷大学に乗り込んで行って直接抗議しなければならないのですが、このような状況では、その際にこの邪悪で恐ろしい小島勝教授から暴力を振るわれる可能性が大いにありますね。一度、犯罪に手を染めた者は、再び犯罪を行なう可能性が高いのです。そうするとこの場合、私としては黙って殴られっぱなしというわけにはいかないでしょう。乱闘になるでしょう。最悪の場合、殺人事件に発展するかもしれません。厚生労働省が、国民健康保険については強制加入であるという法律の規定があるにもかかわらず、私が加入しないと届けると、「どうぞ随意に。法律に規定はあるが加入しなくても構いません。病気にでもなれば、さっさと死んだらどうですか」というような姿勢をおとりになるのなら、私が自己防衛上、やむなく小島勝教授に暴力を振るい、また結果として小島教授を死に至らしめても罪を問われることはないのですね。この点を、龍谷大学に直接談判に出向く前にちょっと確認しておきたかったのです。無論、警察や検察にも確認をとり、決して私を犯罪者には仕立てないという保証を得ておきたいと思います。国からも、私の罪を問わないという保証をもらっておきたいと存じます。
(以上、コピー)
 
 国民健康保険への加入を拒否する手続きは、事情があって少し先延ばしにしなければならない。なお、この手続きは同時に、国民の義務である納税や確定申告をも拒否できるものである。
 文部科学省による虐待には、途中からユング派も加わったようです。ユング派の第一人者であった河合隼雄を、文部科学省は破格の厚遇を行い、優遇し重用していました。
  この件については、厚生労働省は当該市役所を巻き込むような真似をしないでください。文部科学省は、龍谷大学を使って龍谷大学構内で詐欺犯罪事件を行ないました。そのために、この犯罪事件の真相が実に分かりづらくなってしまいました。本来は関係のない第三者を、何人か事件に巻き込んだかもしれません。厚生労働省は、文部科学省のような卑しいことを行なわないでいただきたいと存じます。

道徳教育に関する意見書

(文部科学省に提出した「道徳教育に関する意見書」のコピーである。)

道徳教育に関する意見書

 文部科学省は、来年度から道徳を教科に格上げするようだが、これまでの道徳の副教材「心のノート」の延長のようである。
 道徳の副教材「心のノート」は、ユング心理学の日本における草分け的な存在であった河合隼雄が中心になって作成されたものである。河合隼雄は、その他にも中央教育審議会の委員や文化庁長官を歴任していた。文部科学省は、河合隼雄を破格の待遇でもって優遇し重用していた。
 河合隼雄は、奈良県の私立高等学校の数学教師であったが、高校教師から京都大学教育学部教授に転進するにあたって、二度、詐欺犯罪行為をなしている。また、臨床心理学者になって日本臨床心理学会に所属していたが、河合が行なった子どもに対する心理検査の非人間性を学会で指摘されると、カンカンに怒って学会を飛び出した。そして、心理臨床学会という奇妙な名称の学会を新たに設立した。さらに、私は、京都の龍谷大学大学院に入学した際に、文学部教育学の小島勝教授を実行犯とする詐欺犯罪の被害に遭ったが、そのときの小島勝教授の話から、ユング派の河合隼雄と氏原寛がこの詐欺犯罪の主犯格だったのではないだろうか。このように河合隼雄には、よく犯罪の影がつきまとう。これは、ユング心理学自体があたかも犯罪行為や他人に対して悪をなすことを奨励しているかのような心理学だからである。
 このように不道徳で反社会的な、しかも非人間的なユング心理学やユング派の河合隼雄を、文部科学省は優遇し重用してきた。ユング心理学を恰も国教にしたかの感がある。これは、不道徳なユング心理学にすっかり参ってしまったらしい元文部官僚で元文部科学大臣の遠山敦子が主導したものと考えられる。遠山敦子も、新国立劇場理事長であったときに犯罪行為をなしている。実に不道徳で反社会的である。ユング心理学なんかを信奉すれば、このように不道徳で反社会的になるのである。これは必然的なことなのである。ユング心理学の不道徳性や反社会性は、この心理学の基本的で本質的な性格なのである。
 不道徳で反社会的なユング心理学を、まるで国教ででもあるかのように取り扱って優遇し、河合隼雄を重用するとはどういうことだろうか。むしろユング派を、社会から追放すべきではないのか。文部科学官僚の頭の中が、いかれてしまったのだろうか。不道徳で反社会的な河合隼雄に道徳の副教材「心のノート」を作成させるとは、もってのほかである。このようにすさまじい文部科学官僚は、教育行政を預かる資格があるのだろうか。


河合隼雄や遠山敦子の犯罪などについては、私のブログ「ユング心理学批判」やその後継版を参照してください。
http://moriyamag.blogspot.com

なお、この道徳教育に関する意見書は、警察や新聞社にも送付します。

遠山敦子へのメール

(日本に一時帰国した。日本でやっておかなければならないことがある。
遠山敦子は、facebookで僕を追跡していた。いったい何のために僕を追跡していたのか、よくわからない。以下、遠山敦子へのメールのコピー。)

遠山敦子殿

 facebookで追跡するような姑息な手段ではなく、正々堂々とメールを寄越せばよいのではないでしょうか。姑息な手段を使わざるをえないような理由でもおありですか。何か後ろめたさでも感じておられるのでしょうか。
 邪悪で非人間的な文部科学省やユング派によって、僕が殺されてしまったかとお考えでしたか。ご心配なく。まだ物理的には殺されてはいません。何度も殺害の寸前にまでいきましたが(例えば亡命を希望したフランスでは、食料もなくなった上に9晩も野宿する羽目になりました。外国での野宿は本当に恐ろしい)、現在、既に殺害されてしまっているのと同じでしょう。社会的には、もう既に抹殺されているのですから。この不道徳で悪辣な文部科学省とユング派は、もっとひどいやり方で僕をさらに社会的に抹殺しようともくろんでいるようです。遠山さんも、文部科学省の犯罪・残虐行為に関与していましたか。そのために、少しは後ろめたさを感じているのですか。
 遠山さんがユング心理学を信奉して、河合隼雄を重用したのは何故ですか。ユング心理学は、悪を否定しない恐ろしい心理学です。このような不道徳で反社会的な心理学に拘るのは何故ですか。しかも、この恐ろしい不道徳な心理学を教育(道徳教育)にまで適用しようとしていたでしょう。日本人をすべて、不道徳で反社会的にしたいのですか。国が滅びてしまうでしょう。
 ただね、ユング派の連中というものは、白痴同然(失礼!この言葉はまずいかな)の輩です。白痴だと言ったのは、あるひとつの前提(集合的無意識)にのみ執着して、それであらゆる問題を解決したのだとうそぶいて舞い上がる。単純な単細胞のやつらです。だから白痴だと言っているのです。
 ユング心理学に心酔し固執する前は、精神の荒野だったのですか。草木の一本も生えない荒漠とした精神だったのですな。お気の毒に。それで、悪を認めるユング心理学に縋りついて、魔女のような恐ろしい人間になってしまった。新国立劇場の理事長であったときには、犯罪行為までしてしまった。それでも平気なのだから、魔女の魔女たる所以である。文部科学省の官僚だったときにも犯罪行為に手を染めていたのですか。そうすると、文部科学省の僕に対する犯罪行為に関与していたのではないかという疑いも強くなるわけですね。それなら、遠山さんにも「ある人への手紙」のコピーをお送りしておきましょう。虚偽の誹謗中傷を流す、そうして職場にいられなくする、仕事の妨害、それに詐欺、脅迫です。遠山さんもこの犯罪行為に関わっていましたか。教育行政を預かっているのに、文部科学省は非人間的で冷酷な役所です。遠山さんも文部科学省のこの雰囲気に染まっていましたか。それとも文部科学省で指導的な立場にいた遠山さんが、省内の雰囲気をこのように非人間的なものへと先導したのですか。
(以上が遠山敦子へのメール)

 ユング心理学、ユング派の最大の弱点、アキレス腱は道徳性の欠如である。このアキレス腱を見事に正確に射抜いたとき、ユング派は総体的に崩れ去るだろう。