姉こもさは秋田県の民謡である。本当に難しい曲である。これは女性しか歌えない。しかも、ソプラノでないといけないと思う。アルトでは、なかなか情感が出しにくいのではないだろうか。この歌の歌い手には、繊細さと線の細さが要求される。だから、アルトよりもソプラノのほうがよいと考えたのである。僕は昔、この曲をミュージックテープで持っていた。その民謡歌手が高い声の持ち主だった。その演奏は、この歌の演奏の理想的な形であるように思われた。
とにかく難解な曲である。メロディが複雑であることもさることながら、詞がまた難しい。題名さえ、どういう意味なのか分からない。おそらくは秋田県地方の方言なのではないだろうか。
したがって、この曲を鑑賞するにあたっては、主にメロディだけを取り上げて鑑賞することにする。日本人の男の子は、姉や叔母や従姉や近所のお姉さんに対してほのかな慕情を感じるときに、その慕情の中に何か悲しみに似たような情緒が紛れこむことがある、と僕は考えている。このことは、僕が始めて言い出したことではないかもしれない。前に誰かが述べていたような気もする。この「姉こもさ」を聞きながら思った。小さな男の子が年上の女性にほのかな慕情を寄せている。その慕情に、かすかな悲しみのような感情がない交ぜになっているのである。男性の方は、自分の子どもの頃のことを思い出してほしい。このような経験がなかっただろうか。これは日本人特有の感情のあり方だろうか。中国や韓国などのアジアの諸国の人々ならば、同じような感情の形態がありうるのではないかという気がしないでもない。それならば、欧米人の場合はどうなのだろうか。
しかし、以上のことは、この曲の作曲者が男性であるという前提に立たなければ成り立ちにくい。しかしながら、姉こもさの作曲者が男性である可能性は低いと思う。このような難曲を、男性が女性に歌ってもらうつもりで、女性のためにわざわざ作曲したなどということがありうるだろうか。しかも、これは自然発生的に生まれたと思われる民謡なのである。やはり女性が作曲した、初めて歌いだしたのが女性であったとみるほうが自然であろう。姉こもさの作曲者が女性であるとすると、日本人の女性の心の中でも、日本人の男性の心の中で生起していることと同様のことが起きているはずだということになる。
姉こもさと似たような情感を醸し出している歌に、宮崎県民謡の「ひえつき節」がある。この歌は、姉こもさに比べると、詞の意味が分かりやすい。恋仲の男女の女性のほうは、平家の落人の子孫である。男性のほうは、平家を追討していた源氏方の大将の子孫である。ロミオとジュリエットの日本民謡版なのである。この歌の場合、恋愛情緒に悲しみの情緒がない交ぜになっているということの意味が非常に分かりやすい。
「ひえつき」とは、稗搗き。穀物の稗を、臼のような容器に入れて杵で搗いて脱穀するのである。これは女性の仕事であった。村の集会場のような作業場に、近所から何人かの女性が集まってくる。井戸端会議のようになる。四方山話に花を咲かせながら、稗を搗く。そのうちに話題も尽きてきて、みんな黙りこくって静かになる。女性たちは、ただひたすら稗を搗く。そのときである。そのうちのひとりの女性が歌を歌いだした。誰かに教わったわけでもない。その女性が自分でひとりでに口をついて出てくる歌を歌っているのである。他の女性達は、その歌にしばらく耳を澄まして聞いていたが、ああ、これは中々いい歌だと思って、これに和す。このようにして、ひえつき節は誕生したのだろう。ひえつき節は労働歌なのである。
そこで、このひえつき節に関しては、次のような疑問が湧いてくる。最初にこの歌を歌いだした女性(いわば原作曲者)は、この歌の中で歌われているf悲恋の女主人公と同一人物なのかどうか、という疑問である。作曲者が物語の主人公その人自身であってみれば、この歌に対して極めて高い評価をあげてもよい。この歌にこめられている恋愛情緒にない交ぜになっている悲しみの感情は、これを経験した本人自身の生の本物の感情だということになるからである。もしもそうでないなら、第三者がこの物語に接して主人公に感情を移入して作られたものだとするならば、この歌で歌われている感情は、本物の生のものではないことになる。中世の歌人が、昔、何かの物語で読んだ場面を思い浮かべながら作歌するのとよく似ている。すると、この歌の悲しみの情緒は、歌の物語を伝え聞いた人の、物語から受けた印象ということになる。この場合であれば、この曲に対する評価を前の場合に比べて少し下げなければならなくなってくる。
朝倉理恵「雨だれ」 https://www.youtube.com/watch?v=-yAffjm9ZjE
現代のこの曲にも、やや幼い感じのする恋の恋心の中に悲しみのような感情が紛れこんでいる。「さみしがりや同士 肩寄せ合って 伝え合うのよ はずむ恋の芽生え」というフレーズもある。歌手は女性であるが、作曲者は男性である。したがって、恋愛情緒の中に紛れこんでいる悲しみのような感情は、この場合には男性のものとも女性のものとも言えるだろう。
朝倉理恵さんは、僕が大好きな女性歌手である。しかし、朝倉さんは、歌手として非常に成功したとは言えなかったようである。こんなにきれいな声で、こんなにすばらしい歌唱力を持っているにもかかわらず。ポピュラーミュージックの世界でも、やはりこのようなことが起きている。本当に実力のある人が報われないのである。このような状況は、ユング派がのさばることによって、様々な方面でいっそうひどくなった。
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