2015年2月16日月曜日

Gabriel Faure

 フォーレのような作曲家になるのが夢だった。この夢は、歌手になる夢や小説家になる夢とともに、とっくの昔に葬り去ってしまっている。そうせざるをえない状況に立ち至った。
 初めて好きになった楽曲が、フォーレ(Gabriel Faure)の「ペレアスとメリザンド」にある曲(いわゆるフォーレのシチリアーノ)だった。「ラシーヌ賛歌」を初めて聞いたときには、全身がうち震えるような感動を覚えた。「夢のあとに」はいつも寄り添ってくれる親友のようなものである。
 20歳代のときに、毎晩毎晩、「レクイエム」を何度も繰り返して聴いていた時期があった。アンドレ・クリュイタンスが指揮したものである。モーツァルトの「レクイエム」と比べてみると、これが同じ「レクイエム」かと思うほど両者の違いは大きい。モーツァルトのほうは、激しくドラマチックで動的である。フォーレのものは、あくまでも静的で内省的である。そうして、時折、深淵を覗き込むようなところがあって、はっとさせられる。
 バッハ(Johann Sebastian Bach)は、客観的な立場に立てば、最高の音楽家である。僕は勝手にフォーレとバッハのふたりを、自分の師ででもあるかのように思い込んでいる。僕は、このふたりの真似をしていたかった。そうしていれば、やがて本物の作曲家になれるだろうと考えていた。フォーレとバッハは、とうてい手の届きそうもない、ふたつの永遠の星である。
 何の芸術の素養もなく芸術とは無縁の人種のくせに、ある日突然、舞い上がって自分を芸術家だと思い込み、芸術好きになった連中が、妙なことを仕掛けてきて、泉をかき回し、シャベルで掘り返そうとした。もう、おしまいだ。もう、この泉から水が湧き出してくることはない。再生は不可能だ(「幻想の黒いオルフェ」http://moriyamag.blogspot.com/2013/11/blog-post_2028.html)。もうとっくの昔に、フォーレとバッハの真似をすることをやめた。

 芸術について、それから“popular music”について、少し書きたいと思っていた。“popular music”の中には、僕が曲を作るときに核になっているような曲が何曲かある。これは、昔から心に深く染みついていたニューミュージックなどの曲である。しかし、やはりやめておこう。ユングファン、河合隼雄ファンの村上春樹や宮崎駿の作品が世界中でもてはやされ、僕が犯罪の被害者になったと、いくら訴えても冷たく無視されるような世界で、何を言ってもしようがないではないかという気がしてきた。何を言っても、聞く耳持たぬ、である。暖簾に腕押しだ。言論が通用しない国は、独裁国家とどこが違うのか。何を言っても、鼻でせせら笑われるだけだろう。
 村上春樹や宮崎駿のいんちき作品が世界中でもてはやされるような世界では、僕が芸術家になったとしても完全に無視されるだけだろう。芸術家としても生きていくことが、ほとんど不可能なのである。僕には、この世界には芸術家として生きていく居場所がない。

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