2016年1月2日土曜日

WAKA(3)ーあかとき露にー

あかとき露に

我が背子を大和へ遣ると小夜更けて暁露にわが立ち霑れし

wa-ga-se-ko-o, ya-ma-to-e-ya-ru-to, sa-yo-fu-ke-te, a-ka-to-ki-tsu-yu-ni, wa-ga-ta-chi-nu-re-shi

 作者・大伯皇女(Ohku no Himemiko)は、WAKA(2)ー磐余の池に鳴く鴨ー(http://gorom2.blogspot.my/2014/12/waka2.html)の“Ohtsu no Miko”の姉である。The word “himemiko” or “ohjo”
means princess. この歌は、“Ohtsu no Miko”の死の何日か前に詠まれたものであろうと考えられている。“Ohtsu no Miko”は、伊勢の国にいる姉のもとを訪ねていた。その“Ohtsu no Miko”が、大和(Yamato)の国へ帰るのを見送った歌である。この姉は、弟を深く愛していたようである。“Ohtsu no Miko”の死の後にも何首かの歌を詠んでいるが、どの歌も悲嘆の情にあふれ胸をうつものばかりである。

wa-ga-se-ko-o, ya-ma-to-e-ya-ru-to, sa-yo-fu-ke-te, a-ka-to-ki-tsu-yu-ni, wa-ga-ta-chi-nu-re-shi

 第1句(wa-ga-se-ko-o)
 “wa”は、一人称の代名詞(pronoun)である。“ga”は、所有を表す助詞(a postpositional particle)である。“waga”で“わたしの”、英語の“my”に相当する。“seko”は、“brother”のことである。この歌の場合は、“younger brother”であり、“Ohtsu no
Miko”のことである。“o”は、動作の対象を確認する助詞(a postpositional particle)である。ある動作の対象が、“seko”(younger brother)であることを示す。この動作は、第2句(ya-ma-to-e-ya-ru-to)にある動詞(yaru)が表している動作である。

 第2句(ya-ma-to-e-ya-ru-to)
 “ya-ma-to”は、当時の都があった国の名前である。794年に“Kyoto”に遷都されるまで、だいたい“yamato”の国の“Nara”や、その近辺に都があった。“e”は、今いるところから、遠方へ移動する到着点(yamato)を表す助詞(a postpositional particle)である。“ya-ru”は、派遣する(send forth)という意味の動詞(verb)である。しかし、この歌の“yaru”は、派遣する(send forth)という意味そのままに解するのは適当ではない。姉が弟の“Ohtsu no
Miko”を、“yamato”へ行かせたくなかったのだが、弟が重大な事件に巻き込まれているようで、どうしても行かなければならないと言うものだから、しぶしぶと同意した、というような意味になるかと思う。つまり、“younger brother”の“Ohtsu no Miko”が、“Yamato”の都へ行くことに同意したのである。

 第3句(sa-yo-fu-ke-te)
 “sa-yo”の“sa”は、接頭語(prefix)である。“yo”は“night”である。接頭語の“sa”を付けないで、単に“yo”だけでもよさそうなものであるが、それでは音数(字数)が足りなくなるのと(第3句が4音になってしまう)、“sa-yo”とすることによって女性らしい優しい口吻になった。“fu-ke-te”の“verb”(動詞)の部分“fu-ke”の元の形は、現代語では“fu-ke-ru”である。深くなる、たけなわになる、という意味である。“fu-ke”と変化して、“a postpositional particle”の“te”が付く。すると、夜が“fu-ke-ru”(深くなる)という状態から、次の状態(夜明けが近くなること)へと続いていくことを表す。

 第4句(a-ka-to-ki-tsu-yu-ni)
 “a-ka-to-ki”は、後に“akatsuki”という語に変化した。夜が明けかかっているが、まだ暗いうちのことである(dawn)。“tsu-yu”は、“dew”である。“ni”は“a postpositional particle”であるが、直前の語“tsu-yu”が受身の対象であることを表す。“tsu-yu”によって、“tsu-yu”のために、という意味になる。

 第5句( wa-ga-ta-chi-nu-re-shi)
 “wa-ga”の“wa”は、一人称の代名詞(pronoun)。“ga”は、“a postpositional particle”であるけれども、第1句の“ga”とは違って所有を表すのではなく、直前の語“wa”が主語であることを示している。“ta-chi-nu-re”は動詞(verb)で、元の形は現代語では“ta-chi-nu-re-ru”である。意味は、立ちながら(露に)濡れる。その後にある“shi”は助動詞(an auxiliary verb)である。直前の語“ta-chi-nu-re-ru”(verb)ということが、確かにわたしの体験であったということを示している。
 第4句の“a-ka-to-ki-tsu-yu”は、涙を暗示している。確かに“a-ka-to-ki”(dawn)の冷たい“tsu-yu”(dew)に立ったまま濡れたのであるけれども、わたし自身が流した涙にも濡れそぼったのである。
 一首全体の意味は、
弟の“Ohtsu no Miko”が“yamato”へ帰るというので見送った。弟の姿が見えなくなっても、わたしはそのまま戸外に立ち尽くしていた。やがて夜明け間近になって気がついたが、わたしは明け方の露にすっかり濡れそぼっていた。
ということになるだろう。
 この歌の調子は、語り口のような印象を受ける。作者“Ohku no Himemiko”が、知り合いの誰かに自分の体験を語っているようにみえる。上の句(前半部の5-7-5)の部分は、決して流暢ではないにせよ、自分の感情を抑えて一心に話しているようである。
 あの日、弟がどうしても“yamato”へ帰らなければならないと言うものですから、わたしは戸外に出て見送りました。何かのっぴきならない事情がある、ということでしたので、わたしも仕方なく“yamato”へ、やることにしました。弟は、とても詩文の才能があると言われていて嘱望されていたのです。それから弟に会った人は、みんなあの子を好きになりましたよ。どこか不思議な魅力を備えていたのですね。子どもの頃から、それはそれは利発で優しいいい子でした。そんなあの子が、どうしてあのような大それた恐ろしい企てをするでしょうか。弟の後姿は、やはりどこか寂しそうでした。わたしは何度も弟を呼び返したいと思いました。“yamato”へなんか行かなくてもいいから、ずっとわたしの傍にいてちょうだい、と。でも、そうなわけにもいきませんよね。弟の姿が木の間隠れになって、だんだん小さくなっていきました。そうして山の陰に隠れてしまいました。弟の姿が見えなくなると、ただもうぼんやりとしてしまって、そのまま立っていたのです。夜もすっかり更けていました。どれほどの時間立っていたのでしょうか。鶏の鳴く声が聞こえてきました。もうそろそろ夜が明けてくる頃です。気がつくと、わたしはすっかり暁の露に濡れていました。あの子の姿を見るのは、これが最後になるのかと思うと・・・・。
 ここで、“Ohku no Himemiko”から嗚咽する声がもれてくる。そして、“暁の露だと思ったのは、わたしの涙だったのでしょうか”と、やっとのことで続ける。下の句(後半部の7-7)の最初の言葉“a-ka-to-ki-tsu-yu”の、早口で言うと舌を噛みそうなくらいに発音がしにくいことにそれが表れていると思う。
 
(September 29, 2014)

WAKA(1)ー真幸くあらばまたかへり見むー
http://gorom2.blogspot.my/2014/12/waka1.html

WAKA(2)ー磐余の池に鳴く鴨ー
http://gorom2.blogspot.my/2014/12/waka2.html

WAKA(3)について
http://gorom8.blogspot.my/2016/01/waka3_2.html

WAKA(4)-何しか来けむ-
http://gorom8.blogspot.my/2016/01/oceanocean-and-forested.html

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