2016年1月2日土曜日

WAKA(4)-何しか来けむ-

 『真幸くあらばまたかへり見む (OCEAN)』が消滅したので、コンテンツを姉妹サイトに復活させる。全部は面倒くさくて無理だろうが、基本的には改名した『真幸くあらばまたかへり見む(Ocean and Forested Mountain)』 http://gorom2.blogspot.com/ )で行なう。当サイトでは、「WAKA」と「国語講座」を再掲載する。「WAKA」は、ユング派が潰され社会から追放されたあかつきに、書き継いでいこうと考えている。長い間の虐待によって生命力があらかた失われてしまったので、歌手にはなれない。芸術には無縁の人種であるくせに自分を芸術家だと思い込んでいるユング派に付き纏われているので、作曲家にもなれなくなったかもしれない。創造の泉が、すっかり萎縮してしまった。当然ユング派は撲滅されるべきである。人間の心を失った連中が、人の心を支配しコントロールしようとしているのである。ユング派を撲滅しておかないと、人類が大変なことになってしまう。

WAKA(4)-何しか来けむ-

見まく欲り吾がする君もあらなくに何しか来けむ馬疲るるに

mi-ma-ku-ho-ri, wa-ga-su-ru-ki-mi-mo, a-ra-na-ku-ni, na-ni-shi-ka-ki-ke-n, u-ma-tsu-ka-ru-ru-ni

 ふたたび“Ohku no Himemiko”の歌である。
 彼女は、弟の“Ohtsu no Miko”が、都のある“Yamato”へ帰るのを見送った(WAKA(3)ーあかとき露にー http://gorom8.blogspot.my/2016/01/waka3.html)。それから何日か経過した。伊勢の国にいると、都の消息があまり伝わってはこない。もどかしい思いで日を送っておられただろう。弟はどうなったのか、無事なのか、それとも・・・・、という思いが日々刻々と募る。
 そのうちに、伊勢の国での任が果てた。これで都へ帰ることができる。弟は、もしかしたら死を免れているのではないか、という一縷の望みとともに“Yamato”へ向けて出発した。

mi-ma-ku-ho-ri, wa-ga-su-ru-ki-mi-mo, a-ra-na-ku-ni, na-ni-shi-ka-ki-ke-n, u-ma-tsu-ka-ru-ru-ni

 第1句(mi-ma-ku-ho-ri)
 “mi”は“see”であるが、その後に希望を表す助動詞(an auxiliary verb)“ma-ku”がつながり、さらに願う意味の動詞“ho-ri”が続いている。これで、“want to see”の意味になる。主語は、第2句目にある“wa”(“I”)である。

 第2句(wa-ga-su-ru-ki-mi-mo)
 “wa”は、一人称の代名詞。“ga”は、“wa”が主語であることを示す助詞(a postpositional particle)である。“su-ru”は、英語の代動詞“do”に相当すると考えられるが、“want to see”のことである。この“su-ru”のような用法は、現代日本語ではあまり見かけない。“want to see”(mi-ma-ku-ho-ri)、“do”(su-ru)の目的語が、次に続く“ki-mi”である。これは、2人称の代名詞とも3人称の代名詞とも考えうるが、弟のことをさしており、その弟はもう既に亡くなっているので、3人称の代名詞と捉えたほうがよいかもしれない。いずれにせよ、たいした違いはないだろう。最後の“mo”は、直前にある語“ki-mi”が今どうなっているのかという説明を導き出す助詞(a postpositional particle)である。第3句にあるように、もはやこの世にはいないのである。

 第3句(a-ra-na-ku-ni)
“a-ra”は、存在する意味の動詞。基本形は古い日本語では、“ari”である。現代語では、“aru”である。後ろに“na-ku-ni”という助動詞(an auxiliary verb)と助詞(a postpositional particle)が複合した語が続くために変化している。“na-ku”は打消の助動詞。“ni”は、逆接条件の助詞(a postpositional particle)である。「~なのに」という意味である。英語で言えば、“even though”か“in spite of”のような意味になると思う。第3句は、「(“ki-mi”も)この世にいないのに」、「この世にいないにもかかわらず」、という意味になる。

 第4句(na-ni-shi-ka-ki-ke-n)
 “na-ni-shi-ka”は、三つの語の連語である。“na-ni”は、「どういうこと」という意味の代名詞。“shi”は、「強め」の助詞(a postpositional particle)。“ka”は、疑問を表す助詞である。「どういうわけで~してしまったのか」「何のために~してしまったのか」という意味になる。この「~」に当て嵌まるのが、後に続く“ki”という動詞である。基本形は、“ku”である。現代語の基本形は、“kuru”である。英語の“come”である。“ki”の後ろの“ke-n”は助動詞(an auxiliary verb)であるが、過去に起きた出来事(つまり、作者が都のある“Yamato”に来てしまったこと)のその理由を忖度しているのである。第4句は、「わたしは、いったい何のために(“Yamato”に)来てしまったのだろうか、来なければよかった」という意味になる。

 第5句(u-ma-tsu-ka-ru-ru-ni)
 “u-ma”は、“horse”。“tsu-ka-ru-ru”は、“get tired”の意味の動詞である。現代語では“tsu-ka-re-ru”という。“ni”は、第3句の“ni”と同じ助詞(a postpositional particle)である。逆接条件であるが、第3句の“ni”も、第5句の“ni”も第4句の“na-ni-shi-ka-ki-ke-n”(どうして来てしまったのだろう)に帰結される。

 一首全体の意味は、
わたしが会いたいと切に願う弟の君も、もはやこの世にいないのに、どうして“Yamato”の都に来てしまったのだろう。ただ馬を疲れさせただけなのに。
という意味になる。

 上の句(前半部の5-7-5)は、現代日本語にはない表現の仕方であるが、日本人としては重厚な響きを持っていると感じられる。それが下の句(後半部の7-7)になると、一転して重々しい響きは失われ、卑近な日常会話で使われる言葉遣いのようになってしまっている。何か、たががはずれたようなのである。もしかしたら弟は死を免れているのではないかという一縷の望みは、都に来てみると打ち砕かれてしまった。弟の死を耳にしたときの衝撃と精神的な苦痛とが、この歌の表現上のたがをはずさせたのであろう。作者は意図しなかったかもしれないが、この思いがけない特異な技巧が彼女の衝撃と悲しみを直接的にわれわれの胸に届かせてくれるのである。
 この姉の弟に対する愛は、恋人に対する感情に見紛うばかりである。しかし、これは紛れもなく肉親の愛だと思う。母の愛に似た、姉の愛である。それは、WAKA(3)ーあかとき露にー (http://gorom8.blogspot.my/2016/01/waka3.html)の歌の第2句“ya-ma-to-e-ya-ru-to”の“ya-ru”(派遣する。“send forth”)という、いかにも命令的な口調に図らずも顔を出している。彼女は幼少時に、母か乳母に倣ってまだ乳飲み子の弟を養育する真似事をして遊んだ経験があったのだろう。
 皇太子に比べて、その異母兄弟が様々な面における能力、容姿、人間的魅力において優れていると感じられ、世間でもそのような評価が一般的であると思われるとき、皇太子の後ろ盾になっている、ゆかりの深い人物は、皇太子の異母兄弟を恐怖と不安の念をもって眺めることだろう。いつかこの異母兄弟は、皇太子に取って代わろうとするのではないかという不安にさいなまれる。このような下地があると、ほんの些細な出来事、取るに足らない噂話が針小棒大に受け止められることにもなろう。中国や日本の歴史において、このような恐怖や不安にもとづく政治的な事件や陰謀がいくつかあったように思う。“Ohtsu no Miko”は、妬みの炎によって焼き滅ぼされたのではないだろうか。姉は、そのような事情を、うすうす感じ取っていたがために、彼女の悲しみはいや増しになったのではないだろうか。
 女性であるが故に、“Ohku no Himemiko”は自分の才能を磨く機会に恵まれなかったのだろう。また、弟が示す文学的才能に目を見張った。そして、それに目を奪われた。そのために、自己のうちにも潜む弟と同じような才能に気がつかなかったのかもしれない。
                           (November 09, 2014)


WAKA(1)ー真幸くあらばまたかへり見むー
http://gorom2.blogspot.my/2014/12/waka1.html

WAKA(2)ー磐余の池に鳴く鴨ー
http://gorom2.blogspot.my/2014/12/waka2.html

WAKA(3)ーあかとき露にー
http://gorom8.blogspot.my/2016/01/waka3.html

WAKA(3)について
http://gorom8.blogspot.my/2016/01/waka3_2.html

WAKA(3)について

 WAKA(3)ーあかとき露にー(http://gorom8.blogspot.my/2016/01/waka3.html)の第2句“ya-ma-to-e-ya-ru-to”の“ya-ru”を、「派遣する(send forth)という意味そのままに解するのは適当ではない」と書いたが、これをそのまま“send forth”と見ることも可能である。斎藤茂吉の『万葉秀歌』では次のようになっている。「『大和へやる』の『やる』という語も注意すべきもので、単に、『帰る』とか『行く』とかいうのと違って、自分の意志が活《はたら》いている。名残惜しいけれども帰してやるという意志があり、そこに強い感動がこもるのである。」やや分かりづらい書き方になっている。「自分の意志」とは、誰の意志なのか。“Ohtsu no Miko”ではなく、“Ohku no Himemiko”の意志、と受け取るのが順当なところだろう。
 そうすると、“Ohtsu no Miko”は“Yamato”には帰りたくなかったのだということになろう。どこか身を隠すところを探して、伊勢の姉のところにやって来た。姉は斎宮であるから、男性を長い間、身近に置いておくことはできないのではないだろうか。見方を変えれば、絶好の隠れ家にもなりうるのだけれども。そうすると、またどこか身を隠すべきところを探すことになる。姉は弟に、そんなことをしていてはいけない、さっさと“Yamato”に帰りなさい、と諭したということになる。
 以上のような理解になると、WAKA(3)ーあかとき露にー
( http://gorom8.blogspot.my/2016/01/waka3.html )で、姉が弟を見送ったあとで長時間立ち尽くしていたこと、弟の死を知ると深い悲しみに沈んだことが、どうもすっきりしなくなるように思う。僕は、“Ohtsu no Miko”が“Yamato”に戻ったのは、彼自身の意志ではなかったかと考える。それで、“ya-ru”という言葉を文字通りには解さなかったのである。

 WAKAの記述について、誤りがありましたらご指摘ください。また、この歌はこのようにも解釈することができるのではないか、声調についてこのように考えることもできるではないか、というようなご意見がありましたら、やはりお知らせください。コメントは受け付けてはおりませんので、メールでお願いします。

Mail:goromoriyama(at sign)gmail.com

(November 10, 2014)

WAKA(1)ー真幸くあらばまたかへり見むー
http://gorom2.blogspot.my/2014/12/waka1.html

WAKA(2)ー磐余の池に鳴く鴨ー
http://gorom2.blogspot.my/2014/12/waka2.html

WAKA(3)ーあかとき露にー
http://gorom8.blogspot.my/2016/01/waka3.html

WAKA(4)-何しか来けむ-
http://gorom8.blogspot.my/2016/01/oceanocean-and-forested.html


WAKA(3)ーあかとき露にー

あかとき露に

我が背子を大和へ遣ると小夜更けて暁露にわが立ち霑れし

wa-ga-se-ko-o, ya-ma-to-e-ya-ru-to, sa-yo-fu-ke-te, a-ka-to-ki-tsu-yu-ni, wa-ga-ta-chi-nu-re-shi

 作者・大伯皇女(Ohku no Himemiko)は、WAKA(2)ー磐余の池に鳴く鴨ー(http://gorom2.blogspot.my/2014/12/waka2.html)の“Ohtsu no Miko”の姉である。The word “himemiko” or “ohjo”
means princess. この歌は、“Ohtsu no Miko”の死の何日か前に詠まれたものであろうと考えられている。“Ohtsu no Miko”は、伊勢の国にいる姉のもとを訪ねていた。その“Ohtsu no Miko”が、大和(Yamato)の国へ帰るのを見送った歌である。この姉は、弟を深く愛していたようである。“Ohtsu no Miko”の死の後にも何首かの歌を詠んでいるが、どの歌も悲嘆の情にあふれ胸をうつものばかりである。

wa-ga-se-ko-o, ya-ma-to-e-ya-ru-to, sa-yo-fu-ke-te, a-ka-to-ki-tsu-yu-ni, wa-ga-ta-chi-nu-re-shi

 第1句(wa-ga-se-ko-o)
 “wa”は、一人称の代名詞(pronoun)である。“ga”は、所有を表す助詞(a postpositional particle)である。“waga”で“わたしの”、英語の“my”に相当する。“seko”は、“brother”のことである。この歌の場合は、“younger brother”であり、“Ohtsu no
Miko”のことである。“o”は、動作の対象を確認する助詞(a postpositional particle)である。ある動作の対象が、“seko”(younger brother)であることを示す。この動作は、第2句(ya-ma-to-e-ya-ru-to)にある動詞(yaru)が表している動作である。

 第2句(ya-ma-to-e-ya-ru-to)
 “ya-ma-to”は、当時の都があった国の名前である。794年に“Kyoto”に遷都されるまで、だいたい“yamato”の国の“Nara”や、その近辺に都があった。“e”は、今いるところから、遠方へ移動する到着点(yamato)を表す助詞(a postpositional particle)である。“ya-ru”は、派遣する(send forth)という意味の動詞(verb)である。しかし、この歌の“yaru”は、派遣する(send forth)という意味そのままに解するのは適当ではない。姉が弟の“Ohtsu no
Miko”を、“yamato”へ行かせたくなかったのだが、弟が重大な事件に巻き込まれているようで、どうしても行かなければならないと言うものだから、しぶしぶと同意した、というような意味になるかと思う。つまり、“younger brother”の“Ohtsu no Miko”が、“Yamato”の都へ行くことに同意したのである。

 第3句(sa-yo-fu-ke-te)
 “sa-yo”の“sa”は、接頭語(prefix)である。“yo”は“night”である。接頭語の“sa”を付けないで、単に“yo”だけでもよさそうなものであるが、それでは音数(字数)が足りなくなるのと(第3句が4音になってしまう)、“sa-yo”とすることによって女性らしい優しい口吻になった。“fu-ke-te”の“verb”(動詞)の部分“fu-ke”の元の形は、現代語では“fu-ke-ru”である。深くなる、たけなわになる、という意味である。“fu-ke”と変化して、“a postpositional particle”の“te”が付く。すると、夜が“fu-ke-ru”(深くなる)という状態から、次の状態(夜明けが近くなること)へと続いていくことを表す。

 第4句(a-ka-to-ki-tsu-yu-ni)
 “a-ka-to-ki”は、後に“akatsuki”という語に変化した。夜が明けかかっているが、まだ暗いうちのことである(dawn)。“tsu-yu”は、“dew”である。“ni”は“a postpositional particle”であるが、直前の語“tsu-yu”が受身の対象であることを表す。“tsu-yu”によって、“tsu-yu”のために、という意味になる。

 第5句( wa-ga-ta-chi-nu-re-shi)
 “wa-ga”の“wa”は、一人称の代名詞(pronoun)。“ga”は、“a postpositional particle”であるけれども、第1句の“ga”とは違って所有を表すのではなく、直前の語“wa”が主語であることを示している。“ta-chi-nu-re”は動詞(verb)で、元の形は現代語では“ta-chi-nu-re-ru”である。意味は、立ちながら(露に)濡れる。その後にある“shi”は助動詞(an auxiliary verb)である。直前の語“ta-chi-nu-re-ru”(verb)ということが、確かにわたしの体験であったということを示している。
 第4句の“a-ka-to-ki-tsu-yu”は、涙を暗示している。確かに“a-ka-to-ki”(dawn)の冷たい“tsu-yu”(dew)に立ったまま濡れたのであるけれども、わたし自身が流した涙にも濡れそぼったのである。
 一首全体の意味は、
弟の“Ohtsu no Miko”が“yamato”へ帰るというので見送った。弟の姿が見えなくなっても、わたしはそのまま戸外に立ち尽くしていた。やがて夜明け間近になって気がついたが、わたしは明け方の露にすっかり濡れそぼっていた。
ということになるだろう。
 この歌の調子は、語り口のような印象を受ける。作者“Ohku no Himemiko”が、知り合いの誰かに自分の体験を語っているようにみえる。上の句(前半部の5-7-5)の部分は、決して流暢ではないにせよ、自分の感情を抑えて一心に話しているようである。
 あの日、弟がどうしても“yamato”へ帰らなければならないと言うものですから、わたしは戸外に出て見送りました。何かのっぴきならない事情がある、ということでしたので、わたしも仕方なく“yamato”へ、やることにしました。弟は、とても詩文の才能があると言われていて嘱望されていたのです。それから弟に会った人は、みんなあの子を好きになりましたよ。どこか不思議な魅力を備えていたのですね。子どもの頃から、それはそれは利発で優しいいい子でした。そんなあの子が、どうしてあのような大それた恐ろしい企てをするでしょうか。弟の後姿は、やはりどこか寂しそうでした。わたしは何度も弟を呼び返したいと思いました。“yamato”へなんか行かなくてもいいから、ずっとわたしの傍にいてちょうだい、と。でも、そうなわけにもいきませんよね。弟の姿が木の間隠れになって、だんだん小さくなっていきました。そうして山の陰に隠れてしまいました。弟の姿が見えなくなると、ただもうぼんやりとしてしまって、そのまま立っていたのです。夜もすっかり更けていました。どれほどの時間立っていたのでしょうか。鶏の鳴く声が聞こえてきました。もうそろそろ夜が明けてくる頃です。気がつくと、わたしはすっかり暁の露に濡れていました。あの子の姿を見るのは、これが最後になるのかと思うと・・・・。
 ここで、“Ohku no Himemiko”から嗚咽する声がもれてくる。そして、“暁の露だと思ったのは、わたしの涙だったのでしょうか”と、やっとのことで続ける。下の句(後半部の7-7)の最初の言葉“a-ka-to-ki-tsu-yu”の、早口で言うと舌を噛みそうなくらいに発音がしにくいことにそれが表れていると思う。
 
(September 29, 2014)

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 国語講座(http://gorom8.blogspot.my/2016/01/blog-post_2.html)につきましては、問題の解答を作成した上で、メールでお送りください。添付ファイルにしないで、メール本文に貼り付けてください。

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 受講料は社会人、一般人の方につきましては(大学生も含む)、3000円いただきたく存じます。高校生・中学生や受験生の皆さんにつきましては、2000円いただきます。入会金等はございません。中学生の皆さんには問題が難しく感じられるかもしれませんが、国語の場合には少しぐらい難しいものに挑戦したところで特に問題はないと思います。受験生や高校生以下の学生の皆さんは、解答を送られるときに、その旨必ず明記してください。また、これも原則として、添付ファイルにはしません。
 Web講座という性質のために、漢字の書き取り問題を作成することはできません。一応、書き取りに代わる問題を考えてはみました。
 問題文のテキストは、青空文庫からダウンロードさせてもらいました。青空文庫のサイトを拝見させてもらいましたが、特に制限はなく自由にテキストを使わせてもらうことができるようでした。しかし、国語の問題作成には、翻訳と同様に著作権という厄介な問題が常につきまといます。頭の痛いことです。ですから、この国語講座では、どうしても問題文の傾向が偏ってしまうことを免れることができません。その点を御理解の上、御了承ください。
 解答欄は自由に作成していただいて結構です。たとえば、
問一 ①(ふりがな) ②(ア)
問二 (       )
といったようなものでも構いません。
 問題集や大学入試の国語の問題を見てみると、ユング派やユング心理学や河合隼雄にかぶれた筆者の文章が結構多いのです。このような文章を高校生や受験生に読ませるのは、好ましくないこと言うまでもありません。人間を駄目にしてしまうような文章を、どうして若者に半ば強制的に読ませるのでしょうか。ユング派かぶれのした筆者の、芸術、芸術とまくしたてながら芸術とは無縁のひどい文章を読まさせられてしまったら、早速、口直しをしましょう。私がここで“ひどい文章”と言ったのは、集合的無意識とか元型とかという妄想体系を礎にした観念を基にした文章だからです。そうして、このような妄想体系に依拠しながら、狂信的に舞い上がった人々の文章だからです。このような、いわば砂上の楼閣の上に成り立つ文章に、どんな価値があるというのでしょうか。

国語講座

消滅した姉妹サイト『真幸くあらばまたかへり見む(OCEAN)』から再掲載します。(November 04, 2014)

この国語講座につきましては、「国語講座について」(http://gorom8.blogspot.my/2016/01/blog-post_44.html)をお読みください。

問題 次の文章を読んで、後の問いに答えよ。
(宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」からの出題ですが、本文が長いのは全文を掲げたかったからです。従って時間制限はありません。《 》内は、ふりがなです。「|」の記号は、ふりがなの付く文字列の始まりを特定する記号です。たとえば、第六|交響曲《こうきょうきょく》。また、(1)から(66)までの番号は、便宜のために付したものです。段落番号ではありません。)

(1) ゴーシュは町の活動写真館でセロを弾く係りでした。けれどもあんまり上手でないという評判でした。上手でないどころではなく実は仲間の楽手のなかではいちばん下手でしたから、いつでも楽長にいじめられるのでした。
(2) ひるすぎみんなは楽屋に円くならんで今度の町の音楽会へ出す第六|交響曲《こうきょうきょく》の練習をしていました。
 トランペットは一生けん命歌っています。
 ヴァイオリンも二いろ風のように鳴っています。
 クラリネットもボーボーとそれに手伝っています。
(3) ゴーシュも口をりんと結んで眼《め》を(B)のようにして楽譜を見つめながらもう一心に弾いています。
(4) にわかにぱたっと楽長が両手を鳴らしました。みんなぴたりと曲をやめてしんとしました。楽長がどなりました。
「セロがおくれた。トォテテ テテテイ、ここからやり直し。はいっ。」
(4) みんなは今の所の少し前の所からやり直しました。ゴーシュは顔をまっ赤にして額に汗《あせ》を出しながらやっといま云《い》われたところを通りました。ほっと安心しながら、つづけて弾いていますと楽長がまた手をぱっと拍ちました。
「セロっ。糸が合わない。困るなあ。ぼくはきみにドレミファを教えてまでいるひまはないんだがなあ。」
(5) みんなは気の毒そうにしてわざとじぶんの譜をのぞき込《こ》んだりじぶんの楽器をはじいて見たりしています。ゴーシュはあわてて糸を直しました。これはじつはゴーシュも悪いのですがセロもずいぶん悪いのでした。
「今の前の小節から。はいっ。」
(6) みんなはまたはじめました。ゴーシュも口をまげて一生けん命です。そしてこんどはかなり進みました。いいあんばいだと思っていると楽長がおどすような形をしてまたぱたっと手を拍ちました。またかとゴーシュはどきっとしましたがありがたいことにはこんどは別の人でした。ゴーシュはそこでさっきじぶんのときみんながしたようにわざとじぶんの譜へ眼を近づけて何か考えるふりをしていました。
「ではすぐ今の次。はいっ。」
(7) そらと思って弾き出したかと思うといきなり楽長が足をどんと踏《ふ》んでどなり出しました。
「だめだ。まるでなっていない。このへんは曲の心臓なんだ。それがこんながさがさしたことで。諸君。演奏までもうあと十日しかないんだよ。音楽を専門にやっているぼくらがあの金沓鍛冶《かなぐつかじ》だの砂糖屋の丁稚《でっち》なんかの寄り集りに負けてしまったらいったいわれわれの面目はどうなるんだ。おいゴーシュ君。君には困るんだがなあ。表情ということがまるでできてない。怒《おこ》るも喜ぶも感情というものがさっぱり出ないんだ。それにどうしてもぴたっと外の楽器と合わないもなあ。いつでもきみだけとけた靴《くつ》のひもを引きずってみんなのあとをついてあるくようなんだ、困るよ、しっかりしてくれないとねえ。光輝《こうき》あるわが金星音楽団がきみ一人のために悪評をとるようなことでは、みんなへもまったく気の毒だからな。では今日は練習はここまで、休んで六時にはかっきりボックスへ入ってくれ給《たま》え。」
(8) みんなはおじぎをして、それからたばこをくわえてマッチをすったりどこかへ出て行ったりしました。ゴーシュはその粗末《そまつ》な箱《はこ》みたいなセロをかかえて壁《かべ》の方へ向いて口をまげてぼろぼろ泪《なみだ》をこぼしましたが、気をとり直してじぶんだけたったひとりいまやったところをはじめからしずかにもいちど弾きはじめました。
(9) その晩|遅《おそ》くゴーシュは何か巨《おお》きな黒いものをしょってじぶんの家へ帰ってきました。家といってもそれは町はずれの川ばたにあるこわれた水車小屋で、ゴーシュはそこにたった一人ですんでいて午前は小屋のまわりの小さな畑でトマトの枝《えだ》をきったり甘藍《キャベジ》の虫をひろったりしてひるすぎになるといつも出て行っていたのです。ゴーシュがうちへ入ってあかりをつけるとさっきの黒い包みをあけました。それは何でもない。あの夕方のごつごつしたセロでした。ゴーシュはそれを床《ゆか》の上にそっと置くと、いきなり棚《たな》からコップをとってバケツの水をごくごくのみました。
(10) それから頭を一つふって椅子《いす》へかけるとまるで虎《とら》みたいな勢《いきおい》でひるの譜を弾きはじめました。譜をめくりながら弾いては考え考えては弾き一生けん命しまいまで行くとまたはじめからなんべんもなんべんもごうごうごうごう弾きつづけました。
(11) 夜中もとうにすぎてしまいはもうじぶんが弾いているのかもわからないようになって顔もまっ赤になり眼もまるで血走ってとても物凄い顔つきになりいまにも倒《たお》れるかと思うように見えました。
(12) そのとき誰《たれ》かうしろの扉《と》をとんとんと叩《たた》くものがありました。
「ホーシュ君か。」ゴーシュはねぼけたように叫びました。ところがすうと扉を押してはいって来たのはいままで五六ぺん見たことのある大きな三毛猫《みけねこ》でした。
(13) ゴーシュの畑からとった半分熟したトマトをさも重そうに持って来てゴーシュの前におろして云いました。
「ああくたびれた。なかなか運(A)はひどいやな。」
「何だと」ゴーシュがききました。
「これおみやです。たべてください。」三毛猫が云いました。
(14) ゴーシュはひるからの(C)を一ぺんにどなりつけました。
「誰がきさまにトマトなど持ってこいと云った。第一おれがきさまらのもってきたものなど食うか。それからそのトマトだっておれの畑のやつだ。何だ。赤くもならないやつをむしって。いままでもトマトの茎《くき》をかじったりけちらしたりしたのはおまえだろう。行ってしまえ。ねこめ。」
(15) すると猫は肩《かた》をまるくして眼をすぼめてはいましたが口のあたりでにやにやわらって云いました。
「先生、そうお怒りになっちゃ、おからだにさわります。それよりシューマンのトロメライをひいてごらんなさい。きいてあげますから。」
「生意気なことを云うな。ねこのくせに。」
(16) セロ弾きはしゃくにさわってこのねこのやつどうしてくれようとしばらく考えました。
「いやご遠慮はありません。どうぞ。わたしはどうも先生の音楽をきかないとねむられないんです。」
「生意気だ。生意気だ。生意気だ。」
(17) ゴーシュはすっかりまっ赤になってひるま楽長のしたように足ぶみしてどなりましたがにわかに気を変えて云いました。
「では弾くよ。」
(18) ゴーシュは何と思ったか扉《と》にかぎをかって窓もみんなしめてしまい、それからセロをとりだしてあかしを消しました。すると外から二十日過ぎの月のひかりが室《へや》のなかへ半分ほどはいってきました。
「何をひけと。」
「トロメライ、ロマチックシューマン作曲。」猫は口を拭《ふ》いて済まして云いました。
「そうか。トロメライというのはこういうのか。」
(19) セロ弾きは何と思ったかまずはんけちを引きさいてじぶんの耳の穴へぎっしりつめました。それからまるで嵐《あらし》のような勢《いきおい》で「印度《インド》の虎狩《とらがり》」という譜を弾きはじめました。
(20) すると猫はしばらく首をまげて聞いていましたがいきなりパチパチパチッと眼をしたかと思うとぱっと扉の方へ飛びのきました。そしていきなりどんと扉へからだをぶっつけましたが扉はあきませんでした。猫はさあこれはもう一生一代の失敗をしたという風にあわてだして眼や額からぱちぱち火花を出しました。するとこんどは口のひげからも鼻からも出ましたから猫はくすぐったがってしばらくくしゃみをするような顔をしてそれからまたさあこうしてはいられないぞというようにはせあるきだしました。ゴーシュはすっかり面白《おもしろ》くなってますます勢よくやり出しました。
「先生もうたくさんです。たくさんですよ。ご生ですからやめてください。これからもう先生のタクトなんかとりませんから。」
「だまれ。これから虎をつかまえる所だ。」
(21) 猫はくるしがってはねあがってまわったり壁にからだをくっつけたりしましたが壁についたあとはしばらく青くひかるのでした。しまいは猫はまるで風車のようにぐるぐるぐるぐるゴーシュをまわりました。
(22) ゴーシュもすこしぐるぐるして来ましたので、
「さあこれで許してやるぞ」と云いながらようようやめました。
(23) すると猫もけろりとして
「先生、こんやの演奏はどうかしてますね。」と云いました。
 セロ弾きはまたぐっとしゃくにさわりましたが何気ない風で巻たばこを一本だして口にくわえそれからマッチを一本とって
「どうだい。工合《ぐあい》をわるくしないかい。舌を出してごらん。」
(24) 猫はばかにしたように尖《とが》った長い舌をベロリと出しました。
「ははあ、少し荒《あ》れたね。」セロ弾きは云いながらいきなりマッチを舌でシュッとすってじぶんのたばこへつけました。さあ猫は愕《おどろ》いたの何の舌を風車のようにふりまわしながら入り口の扉《と》へ行って頭でどんとぶっつかってはよろよろとしてまた戻《もど》って来てどんとぶっつかってはよろよろまた戻って来てまたぶっつかってはよろよろにげみちをこさえようとしました。
(25) ゴーシュはしばらく面白そうに見ていましたが
「出してやるよ。もう来るなよ。ばか。」
(26) セロ弾きは扉をあけて猫が風のように萱《かや》のなかを走って行くのを見てちょっとわらいました。それから、やっとせいせいしたというようにぐっすりねむりました。
(27) 次の晩もゴーシュがまた黒いセロの包みをかついで帰ってきました。そして水をごくごくのむとそっくりゆうべのとおりぐんぐんセロを弾きはじめました。十二時は間もなく過ぎ一時もすぎ二時もすぎてもゴーシュはまだやめませんでした。それからもう何時だかもわからず弾いているかもわからずごうごうやっていますと誰《たれ》か屋根裏をこっこっと叩くものがあります。
「猫、まだこりないのか。」
(28) ゴーシュが叫びますといきなり天井《てんじょう》の穴からぽろんと音がして一|疋《ぴき》の灰いろの鳥が降りて来ました。床へとまったのを見るとそれはかっこうでした。
「鳥まで来るなんて。何の用だ。」ゴーシュが云いました。
「音楽を教わりたいのです。」
(29) かっこう鳥はすまして云いました。
 ゴーシュは笑って
「音楽だと。おまえの歌は、かっこう、かっこうというだけじゃあないか。」
(30) するとかっこうが大へんまじめに
「ええ、それなんです。けれどもむずかしいですからねえ。」と云いました。
「むずかしいもんか。おまえたちのはたくさん啼《な》くのがひどいだけで、なきようは何でもないじゃないか。」
「ところがそれがひどいんです。たとえばかっこうとこうなくのとかっこうとこうなくのとでは聞いていてもよほどちがうでしょう。」
「ちがわないね。」
「ではあなたにはわからないんです。わたしらのなかまならかっこうと一万云えば一万みんなちがうんです。」
「勝手だよ。そんなにわかってるなら何もおれの処《ところ》へ来なくてもいいではないか。」
「ところが私はドレミファを正確にやりたいんです。」
「ドレミファもくそもあるか。」
「ええ、外国へ行く前にぜひ一度いるんです。」
「外国もくそもあるか。」
「先生どうかドレミファを教えてください。わたしはついてうたいますから。」
「うるさいなあ。そら三べんだけ弾《ひ》いてやるからすんだらさっさと帰るんだぞ。」
(31) ゴーシュはセロを取り上げてボロンボロンと糸を合わせてドレミファソラシドとひきました。するとかっこうはあわてて羽をばたばたしました。
「ちがいます、ちがいます。そんなんでないんです。」
「うるさいなあ。ではおまえやってごらん。」
「こうですよ。」かっこうはからだをまえに曲げてしばらく構えてから
「かっこう」と一つなきました。
「何だい。それがドレミファかい。おまえたちには、それではドレミファも第六|交響楽《こうきょうがく》も同じなんだな。」
「それはちがいます。」
「どうちがうんだ。」
「むずかしいのはこれをたくさん続けたのがあるんです。」
「つまりこうだろう。」セロ弾きはまたセロをとって、かっこうかっこうかっこうかっこうかっこうとつづけてひきました。
(32) するとかっこうはたいへんよろこんで途中《とちゅう》からかっこうかっこうかっこうかっこうとついて叫びました。それももう一生けん命からだをまげていつまでも叫ぶのです。
(33) ゴーシュはとうとう手が痛くなって
「こら、いいかげんにしないか。」と云いながらやめました。するとかっこうは残念そうに眼《め》をつりあげてまだしばらくないていましたがやっと
「……かっこうかくうかっかっかっかっか」と云ってやめました。
(34) ゴーシュがすっかりおこってしまって、
「こらとり、もう用が済んだらかえれ」と云いました。
「どうかもういっぺん弾いてください。あなたのはいいようだけれどもすこしちがうんです。」
「何だと、おれがきさまに教わってるんではないんだぞ。帰らんか。」
「どうかたったもう一ぺんおねがいです。どうか。」かっこうは頭を何べんもこんこん下げました。
「ではこれっきりだよ。」
(35) ゴーシュは弓をかまえました。かっこうは「くっ」とひとつ息をして
「ではなるべく永くおねがいいたします。」といってまた一つおじぎをしました。
「いやになっちまうなあ。」ゴーシュはにが笑いしながら弾きはじめました。するとかっこうはまたまるで本気になって「かっこうかっこうかっこう」とからだをまげてじつに一生けん命叫びました。ゴーシュははじめはむしゃくしゃしていましたがいつまでもつづけて弾いているうちにふっと何だかこれは鳥の方がほんとうのドレミファにはまっているかなという気がしてきました。どうも弾けば弾くほどかっこうの方がいいような気がするのでした。
「えいこんなばかなことしていたらおれは鳥になってしまうんじゃないか。」とゴーシュはいきなりぴたりとセロをやめました。
(36) するとかっこうはどしんと頭を叩《たた》かれたようにふらふらっとしてそれからまたさっきのように
「かっこうかっこうかっこうかっかっかっかっかっ」と云《い》ってやめました。それから恨《うら》めしそうにゴーシュを見て
「なぜやめたんですか。ぼくらならどんな意気地ないやつでものどから血が出るまでは叫ぶんですよ。」と云いました。
「何を生意気な。こんなばかなまねをいつまでしていられるか。もう出て行け。見ろ。夜があけるんじゃないか。」ゴーシュは窓を指さしました。
(37) 東のそらがぼうっと銀いろになってそこをまっ黒な雲が北の方へどんどん走っています。
「ではお日さまの出るまでどうぞ。もう一ぺん。ちょっとですから。」
(38) かっこうはまた頭を下げました。
「黙《だま》れっ。いい気になって。このばか鳥め。出て行かんとむしって朝飯に食ってしまうぞ。」ゴーシュはどんと床をふみました。
(39) するとかっこうはにわかにびっくりしたようにいきなり窓をめがけて飛び立ちました。そして硝子《ガラス》にはげしく頭をぶっつけてばたっと下へ落ちました。
「何だ、硝子へばかだなあ。」ゴーシュはあわてて立って窓をあけようとしましたが元来この窓はそんなにいつでもするする開く窓ではありませんでした。ゴーシュが窓のわくをしきりにがたがたしているうちにまたかっこうがばっとぶっつかって下へ落ちました。見ると嘴《くちばし》のつけねからすこし血が出ています。
「いまあけてやるから待っていろったら。」ゴーシュがやっと二寸ばかり窓をあけたとき、かっこうは起きあがって何が何でもこんどこそというようにじっと窓の向うの東のそらをみつめて、あらん限りの力をこめた風でぱっと飛びたちました。もちろんこんどは前よりひどく硝子につきあたってかっこうは下へ落ちたまましばらく身動きもしませんでした。つかまえてドアから飛ばしてやろうとゴーシュが手を出しましたらいきなりかっこうは眼をひらいて飛びのきました。そしてまたガラスへ飛びつきそうにするのです。ゴーシュは思わず足を上げて窓をばっとけりました。ガラスは二三枚物すごい音して砕《くだ》け窓はわくのまま外へ落ちました。そのがらんとなった窓のあとをかっこうが矢のように外へ飛びだしました。そしてもうどこまでもどこまでもまっすぐに飛んで行ってとうとう見えなくなってしまいました。ゴーシュはしばらく呆《あき》れたように外を見ていましたが、そのまま倒《たお》れるように室《へや》のすみへころがって睡《ねむ》ってしまいました。
(41) 次の晩もゴーシュは夜中すぎまでセロを弾いてつかれて水を一杯《いっぱい》のんでいますと、また扉《と》をこつこつ叩《たた》くものがあります。
(42) 今夜は何が来てもゆうべのかっこうのようにはじめからおどかして追い払《はら》ってやろうと思ってコップをもったまま待ち構えて居《お》りますと、扉がすこしあいて一疋の狸《たぬき》の子がはいってきました。ゴーシュはそこでその扉をもう少し広くひらいて置いてどんと足をふんで、
「こら、狸、おまえは狸汁《たぬきじる》ということを知っているかっ。」とどなりました。すると狸の子はぼんやりした顔をしてきちんと床へ座《すわ》ったままどうもわからないというように首をまげて考えていましたが、しばらくたって
「狸汁ってぼく知らない。」と云いました。ゴーシュはその顔を見て思わず吹《ふ》き出そうとしましたが、まだ無理に恐《こわ》い顔をして、
「では教えてやろう。狸汁というのはな。おまえのような狸をな、キャベジや塩とまぜてくたくたと煮《に》ておれさまの食うようにしたものだ。」と云いました。すると狸の子はまたふしぎそうに
「だってぼくのお父さんがね、ゴーシュさんはとてもいい人でこわくないから行って習えと云ったよ。」と云いました。そこでゴーシュもとうとう笑い出してしまいました。
「何を習えと云ったんだ。おれはいそがしいんじゃないか。それに睡いんだよ。」
(43) 狸の子は俄《にわか》に勢《いきおい》がついたように一足前へ出ました。
「ぼくは小太鼓《こだいこ》の係りでねえ。セロへ合わせてもらって来いと云われたんだ。」
「どこにも小太鼓がないじゃないか。」
「そら、これ」狸の子はせなかから棒きれを二本出しました。
「それでどうするんだ。」
「ではね、『愉快《ゆかい》な馬車屋』を弾いてください。」
「なんだ愉快な馬車屋ってジャズか。」
「ああこの譜だよ。」狸の子はせなかからまた一枚の譜をとり出しました。ゴーシュは手にとってわらい出しました。
「ふう、変な曲だなあ。よし、さあ弾くぞ。おまえは小太鼓を叩くのか。」ゴーシュは狸の子がどうするのかと思ってちらちらそっちを見ながら弾きはじめました。
(44) すると狸の子は棒をもってセロの駒《こま》の下のところを拍子《ひょうし》をとってぽんぽん叩きはじめました。それがなかなかうまいので弾いているうちにゴーシュはこれは面白《おもしろ》いぞと思いました。
(45) おしまいまでひいてしまうと狸の子はしばらく首をまげて考えました。
(46) それからやっと考えついたというように云いました。
「ゴーシュさんはこの二番目の糸をひくときはきたいに遅《おく》れるねえ。なんだかぼくがつまずくようになるよ。」
(47) ゴーシュははっとしました。たしかにその糸はどんなに手早く弾いてもすこしたってからでないと音が出ないような気がゆうべからしていたのでした。
「いや、そうかもしれない。このセロは悪いんだよ。」とゴーシュはかなしそうに云いました。すると狸は気の毒そうにしてまたしばらく考えていましたが
「どこが悪いんだろうなあ。ではもう一ぺん弾いてくれますか。」
「いいとも弾くよ。」ゴーシュははじめました。狸の子はさっきのようにとんとん叩きながら時々頭をまげてセロに耳をつけるようにしました。そしておしまいまで来たときは今夜もまた東がぼうと明るくなっていました。
「ああ夜が明けたぞ。どうもありがとう。」狸の子は大へんあわてて譜や棒きれをせなかへしょってゴムテープでぱちんととめておじぎを二つ三つすると急いで外へ出て行ってしまいました。
(48) ゴーシュはぼんやりしてしばらくゆうべのこわれたガラスからはいってくる風を吸っていましたが、町へ出て行くまで睡って元気をとり戻《もど》そうと急いでねどこへもぐり込《こ》みました。
(49) 次の晩もゴーシュは夜通しセロを弾いて明方近く思わずつかれて楽譜をもったままうとうとしていますとまた誰《たれ》か扉《と》をこつこつと叩くものがあります。それもまるで聞えるか聞えないかの位でしたが毎晩のことなのでゴーシュはすぐ聞きつけて「おはいり。」と云いました。すると戸のすきまからはいって来たのは一ぴきの野ねずみでした。そして大へんちいさなこどもをつれてちょろちょろとゴーシュの前へ歩いてきました。そのまた野ねずみのこどもときたらまるでけしごむのくらいしかないのでゴーシュはおもわずわらいました。すると野ねずみは何をわらわれたろうというようにきょろきょろしながらゴーシュの前に来て、青い栗《くり》の実を一つぶ前においてちゃんとおじぎをして云いました。
「先生、この児《こ》があんばいがわるくて死にそうでございますが先生お慈悲《じひ》になおしてやってくださいまし。」
「おれが医者などやれるもんか。」ゴーシュはすこしむっとして云いました。すると野ねずみのお母さんは下を向いてしばらくだまっていましたがまた思い切ったように云いました。
「先生、それはうそでございます、先生は毎日あんなに上手にみんなの病気をなおしておいでになるではありませんか。」
「何のことだかわからんね。」
「だって先生先生のおかげで、兎《うさぎ》さんのおばあさんもなおりましたし狸さんのお父さんもなおりましたしあんな意地悪のみみずくまでなおしていただいたのにこの子ばかりお助けをいただけないとはあんまり情ないことでございます。」
「おいおい、それは何かの間ちがいだよ。おれはみみずくの病気なんどなおしてやったことはないからな。もっとも狸の子はゆうべ来て楽隊のまねをして行ったがね。ははん。」ゴーシュは呆《あき》れてその子ねずみを見おろしてわらいました。
(50) すると野鼠《のねずみ》のお母さんは泣きだしてしまいました。
「ああこの児《こ》はどうせ病気になるならもっと早くなればよかった。さっきまであれ位ごうごうと鳴らしておいでになったのに、病気になるといっしょにぴたっと音がとまってもうあとはいくらおねがいしても鳴らしてくださらないなんて。何てふしあわせな子どもだろう。」
(51) ゴーシュはびっくりして叫びました。
「何だと、ぼくがセロを弾けばみみずくや兎の病気がなおると。どういうわけだ。それは。」
(52) 野ねずみは眼《め》を片手でこすりこすり云いました。
「はい、ここらのものは病気になるとみんな先生のおうちの床下にはいって療《なお》すのでございます。」
「すると療るのか。」
「はい。からだ中とても血のまわりがよくなって大へんいい気持ちですぐ療る方もあればうちへ帰ってから療る方もあります。」
「ああそうか。おれのセロの音がごうごうひびくと、それがあんまの代りになっておまえたちの病気がなおるというのか。よし。わかったよ。やってやろう。」ゴーシュはちょっとギウギウと糸を合せてそれからいきなりのねずみのこどもをつまんでセロの孔《あな》から中へ入れてしまいました。
「わたしもいっしょについて行きます。どこの病院でもそうですから。」おっかさんの野ねずみはきちがいのようになってセロに飛びつきました。
「おまえさんもはいるかね。」セロ弾きはおっかさんの野ねずみをセロの孔からくぐしてやろうとしましたが顔が半分しかはいりませんでした。
(52) 野ねずみはばたばたしながら中のこどもに叫びました。
「おまえそこはいいかい。落ちるときいつも教えるように足をそろえてうまく落ちたかい。」
「いい。うまく落ちた。」こどものねずみはまるで蚊《か》のような小さな声でセロの底で返事しました。
「大丈夫《だいじょうぶ》さ。だから泣き声出すなというんだ。」ゴーシュはおっかさんのねずみを下におろしてそれから弓をとって何とかラプソディとかいうものをごうごうがあがあ弾きました。するとおっかさんのねずみはいかにも心配そうにその音の工合《ぐあい》をきいていましたがとうとうこらえ切れなくなったふうで
「もう沢山《たくさん》です。どうか出してやってください。」と云いました。
「なあんだ、これでいいのか。」ゴーシュはセロをまげて孔のところに手をあてて待っていましたら間もなくこどものねずみが出てきました。ゴーシュは、だまってそれをおろしてやりました。見るとすっかり目をつぶってぶるぶるぶるぶるふるえていました。
「どうだったの。いいかい。気分は。」
(53) こどものねずみはすこしもへんじもしないでまだしばらく眼をつぶったままぶるぶるぶるぶるふるえていましたがにわかに起きあがって走りだした。
「ああよくなったんだ。ありがとうございます。ありがとうございます。」おっかさんのねずみもいっしょに走っていましたが、まもなくゴーシュの前に来てしきりにおじぎをしながら
「ありがとうございますありがとうございます」と十ばかり云いました。
(54) ゴーシュは何がなかあいそうになって
「おい、おまえたちはパンはたべるのか。」とききました。
(55) すると野鼠はびっくりしたようにきょろきょろあたりを見まわしてから
「いえ、もうおパンというものは小麦の粉をこねたりむしたりしてこしらえたものでふくふく膨《ふく》らんでいておいしいものなそうでございますが、そうでなくても私どもはおうちの戸棚《とだな》へなど参ったこともございませんし、ましてこれ位お世話になりながらどうしてそれを運びになんど参れましょう。」と云いました。
「いや、そのことではないんだ。ただたべるのかときいたんだ。ではたべるんだな。ちょっと待てよ。その腹の悪いこどもへやるからな。」
(56) ゴーシュはセロを床へ置いて戸棚からパンを一つまみむしって野ねずみの前へ置きました。
(57) 野ねずみはもうまるでばかのようになって泣いたり笑ったりおじぎをしたりしてから大じそうにそれをくわえてこどもをさきに立てて外へ出て行きました。
「あああ。鼠と話するのもなかなかつかれるぞ。」ゴーシュはねどこへどっかり倒《たお》れてすぐぐうぐうねむってしまいました。
(58) それから六日目の晩でした。金星音楽団の人たちは町の公会堂のホールの裏にある控室《ひかえしつ》へみんなぱっと顔をほてらしてめいめい楽器をもって、ぞろぞろホールの舞台《ぶたい》から引きあげて来ました。首尾よく第六交響曲を仕上げたのです。ホールでは拍手《はくしゅ》の音がまだ嵐《あらし》のように鳴って居《お》ります。楽長はポケットへ手をつっ込んで拍手なんかどうでもいいというようにのそのそみんなの間を歩きまわっていましたが、じつはどうして嬉《うれ》しさでいっぱいなのでした。みんなはたばこをくわえてマッチをすったり楽器をケースへ入れたりしました。
(59) ホールはまだぱちぱち手が鳴っています。それどころではなくいよいよそれが高くなって何だかこわいような手がつけられないような音になりました。大きな白いリボンを胸につけた司会者がはいって来ました。
「アンコールをやっていますが、何かみじかいものでもきかせてやってくださいませんか。」
(60) すると楽長がきっとなって答えました。「いけませんな。こういう大物のあとへ何を出したってこっちの気の済むようには行くもんでないんです。」
「では楽長さん出て一寸《ちょっと》挨拶《あいさつ》してください。」
「だめだ。おい、ゴーシュ君、何か出て弾いてやってくれ。」
「わたしがですか。」ゴーシュは呆気《あっけ》にとられました。
「君だ、君だ。」ヴァイオリンの一番の人がいきなり顔をあげて云いました。
「さあ出て行きたまえ。」楽長が云いました。みんなもセロをむりにゴーシュに持たせて扉《と》をあけるといきなり舞台へゴーシュを押し出してしまいました。ゴーシュがその孔のあいたセロをもってじつに困ってしまって舞台へ出るとみんなはそら見ろというように一そうひどく手を叩《たた》きました。わあと叫んだものもあるようでした。
「どこまでひとをばかにするんだ。よし見ていろ。印度《インド》の虎狩《とらがり》をひいてやるから。」ゴーシュはすっかり落ちついて舞台のまん中へ出ました。
(61) それからあの猫《ねこ》の来たときのようにまるで怒《おこ》った象のような勢《いきおい》で虎狩りを弾きました。ところが聴衆《ちょうしゅう》はしいんとなって一生けん命聞いています。ゴーシュはどんどん弾きました。猫が切ながってぱちぱち火花を出したところも過ぎました。扉へからだを何べんもぶっつけた所も過ぎました。
(62) 曲が終るとゴーシュはもうみんなの方などは見もせずちょうどその猫のようにすばやくセロをもって楽屋へ遁《に》げ込みました。すると楽屋では楽長はじめ仲間がみんな火事にでもあったあとのように眼をじっとしてひっそりとすわり込んでいます。ゴーシュはやぶれかぶれだと思ってみんなの間をさっさとあるいて行って向うの長椅子《ながいす》へどっかりとからだをおろして足を組んですわりました。
(63) するとみんなが一ぺんに顔をこっちへ向けてゴーシュを見ましたがやはりまじめでべつにわらっているようでもありませんでした。
「こんやは変な晩だなあ。」
 ゴーシュは思いました。ところが楽長は立って云いました。
「ゴーシュ君、よかったぞお。あんな曲だけれどもここではみんなかなり本気になって聞いてたぞ。一週間か十日の間にずいぶん仕上げたなあ。十日前とくらべたらまるで赤ん坊と兵隊だ。やろうと思えばいつでもやれたんじゃないか、君。」
(64) 仲間もみんな立って来て「よかったぜ」とゴーシュに云いました。
「いや、からだが丈夫だからこんなこともできるよ。普通《ふつう》の人なら死んでしまうからな。」楽長が向うで云っていました。
(65) その晩|遅《おそ》くゴーシュは自分のうちへ帰って来ました。
(66) そしてまた水をがぶがぶ呑《の》みました。それから窓をあけていつかかっこうの飛んで行ったと思った遠くのそらをながめながら
「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」と云いました。

問一 次の漢字に読みがなを付けよ。( )内の数字は、文中に付した番号である。以下の問題についても同じ。
① 「手を拍ちました」(4)の「拍ち」 (  )ち
② 譜(5)(  ) 
③ 「面目」(7)は二通りに読み方ができる。その二通りの読みを答えよ。
( )( )
④ 遠慮(16)(  )
問二 
① 「演奏」(7)の「奏」の訓読みを答えよ。
奏(  )でる
② 「粗末《そまつ》」(8)の「粗」の訓読みを答えよ。
粗(  )い 
③ 「物凄い」(11)の「凄」の音読みを答えよ。
凄絶(  )ぜつ
④ 「叫び」(12)の音読みを答えよ。
絶叫 ぜっ(  ) 
⑤ 「押して」(12)の音読みを答えよ。
押印(  )いん
⑥ 「熟した」(13)の訓読みを答えよ。
熟(  )れる。
⑦ 「愉快《ゆかい》」(43)の二つの漢字それぞれの訓読みを答えよ。。
愉( )しい。快( )い。
問三 「拭《ふ》いて」(18)の他の読み方を答えよ。
拭(  )う
問四 「にわかに」(4)で使われる漢字を使っている文(カタカナの箇所)を、次の中から記号で選んで答えよ。
ア カンゼンと立ち向かう。
イ ガゼン勇気が出てきた。 
ウ ソツゼンとして姿を現した。 
エ どんなことが起きてもタイゼンとしている。
オ 何を言われてもチョウゼンとしている。
カ 美しい絵にトウゼンとしていた。
キ あまりの出来事にボウゼン自失した。
ク フンゼンとして席を立った。
問五
① 「運(A)《うんぱん》」(13)の空欄Aは、次のどの語のカタカナ部分か。 ( )
ア 一パン化(いっぱんか)。 
イ 活パン印刷(かっぱんいんさつ)。 
ウ 湖ハン(こはん)の宿。
エ エベレストの登ハン(とうはん)に成功した(問題のカタカナ部分は「エベレスト」ではありません)。 
オ ハン雑(はんざつ)。
カ ハン若経(はんにゃきょう)を読む。 
キ 商品をハン入(はんにゅう)する。
② 「ご生ですからやめてください。」(20)の「ご」を漢字で書くと、どの漢字になるか。次の中から選んで記号で答えよ。( )
ア 五  イ 午  ウ 互  エ 吾  オ 悟  カ 後  キ 御  ク 護 
③ 「工合《ぐあい》をわるくしないかい。」(23)の「工」は、現在では別の字を書く。その「ぐ」が含まれているものを次の中から選んで記号で答えよ。 ( )
ア 君は、人をグ弄するのかね。
イ 不グ戴天の敵。
ウ もう少しグ体的に説明してください。
エ グ道の道に進む。
オ グや、グや、汝を如何せん。
カ 厭離穢土、欣グ浄土。
キ グ世観音。
ク 仏法がグ通する。 
問六 ① 「一生けん命」(2)の「生」は、元は読みは少し異なるが別の字であった。その漢字の訓読みを記せ。( )
また、「一生けん命」の「けん」と同じ漢字が含まれているのは、次のカタカナ部分のどれか。次の中から記号で選んで答えよ。( )
ア ツッケンドンな受け答えをしてはいけません。
イ ケンソウの中で、見失ってしまった。
ウ ケンタイカンにおそわれた。 
エ ケンアンの問題について議論しましょう。
オ ケンケンガクガクたる会議場。
カ ケンサンに励む。
②「いいあんばいだ」(6)の「あんばい」の意味を答えよ。
(          )
また、「あんばい」を漢字二字で書くとすれば、そこで使っている漢字と同じ漢字を使っている熟語を、次の中から二つ選んで記号で答えよ。( )
ア 倍数  イ 案内  ウ 売買  エ 暗黒  オ 行脚  カ 安心  キ 栽培  ク 紅梅  ケ 塩気  コ 粒餡
問七 「眼《め》を(B)のようにして」(3)の空欄Bに当て嵌まる言葉を、漢字一字で答えよ。驚いたり,物を探し求めるときの目つきをいう。
( )
問八 ① ゴーシュがセロ(チェロのこと)を水車小屋で練習するときの様子は、
「まるで虎《とら》みたいな勢《いきおい》で」(10)
「譜をめくりながら弾いては考え考えては弾き一生けん命しまいまで行くとまたはじめからなんべんもなんべんもごうごうごうごう弾きつづけました。」(10)
「夜中もとうにすぎてしまいはもうじぶんが弾いているのかもわからないようになって顔もまっ赤になり眼もまるで血走ってとても物凄《ものすご》い顔つきになりいまにも倒《たお》れるかと思うように見えました。」(11) 
というものである。これとは対照的な練習の仕方をしていることを表す記述を、本文から三十五字以内で抜き出せ。(1)から(27)の範囲内から答えよ。
(          )
② また、この練習の仕方の違いは、どのような理由によるものか。
(         )
問九 「猫は口を拭《ふ》いて済まして云いました。」(14)の「口を拭《ふ》いて」とは、どのような行為に関してか。
(         )
問十 ゴーシュが、「はんけちを引きさいてじぶんの耳の穴へぎっしりつめ」(19)たのは何故か。
(          )
問十一 「これからもう先生のタクトなんかとりませんから」(20)は、どのような行為をさしているか。
(         )
問十二 「ゴーシュはひるからの(C)を一ぺんにどなりつけました」(14)の空欄(C)に入る語を、次から選んで記号で答えよ。
選択肢 ア 落ち込み  イ くよくよ  ウ しょんぼり  エ 心配  オ どきどき  カ ふらふら  キ むしゃくしゃ   ク めそめそ
問十三 「猫は肩《かた》をまるくして眼をすぼめてはいました」(15)という表現は、猫のどのような性質を表しているか。
(          )
問十四 三毛猫は何故「シューマンのトロメライをひ」(15)けと要求したのか。その理由を五十字以内で答えよ。
(          )
問十五 ゴーシュは何故「印度《インド》の虎狩《とらがり》」(19)を弾いたのか。その理由を四十字以内で答えよ。
(          )
問十六 この物語には四組の動物が登場してゴーシュと交流している。次の記述は、それぞれどの動物との交流に関するものか。動物名で答えよ。ひとつ(一匹、一羽)とは限らない。主に、文章番号(9)から(66)までの範囲内で考えよ。
1. この動物との交流によって、自分の音楽に対する甘い態度に気づいた。そして、それを改めようとした。
( )
2. この動物に対する感情が、ゴーシュの演奏に感情の彩りを添えることになった。
( )
3. 知らないうちに恩恵を及ぼしていたゴーシュ自身の演奏の力に気がついた。
( )
4. 自分の演奏が、実際に目の前にいる相手を物理的に動かすことを実感した。
( )
5. 自然との対立という側面もある。
( )
6. 自然からのお返し・アドバイスがあった。
( )
7. 正確に演奏しなければならないという至上命令のようなものを、一時忘れることができた。
( )
8. 楽器の欠陥に気づいた。
( )
9. 極めて真摯な態度の動物である。
( )
10. 自然本来の歌、自然の音楽の深奥に通じた。
( )
11. ひとつの音にも、すべてを賭けることを教わった。
( )
12. この動物を追い払うために、一心に曲を弾いた。
( )
13. 自然との直接的相互的交渉を体験した。
( )
14. リズム感を向上させた。
( )
15. 指摘された演奏上の自分の弱点に、素直に耳を傾ける。
( )
16. 他のある動物とは異なり、返礼を持ってきた。
( )
17. この動物との交流には、ユーモアを感じさせる。
( )
18. この動物は受け入れ、自分の演奏上の問題点と向き合おうとする。
( )
19. 音楽に対する厳しい態度を獲得した。
( )
20. ゴーシュの、自然に対する敬意が生じてきた。
( )
21. 「譜をめくりながら弾いては考え考えては弾き」(10)していたゴーシュが、しばし楽譜から一旦離れて演奏することを習得した。
( )    
22. ゴーシュは、自己の能力を自覚した。
( )
23. 楽長がゴーシュの演奏について指摘した「おいゴーシュ君。君には困るんだがなあ。表情ということがまるでできてない。怒《おこ》るも喜ぶも感情というものがさっぱり出ないんだ。」(7)という言葉と、この動物との交渉が対応している。
( )
24. 自然における音階は、人間の常識とは異なることがわかった。
( )
25. ともに音楽を奏でる、ともに音楽をする楽しみを知り、アンサンプル(合奏)のやり方を習得した。
( )
26. 人工的なるもの、自然に抗うものに対立し対抗するものである。
( )
27. 自然との調和。
( )
28. 自然を征服しようとしても、結局、自然は人間の行為にびくともしない。
( ) 
29. 自然との奥深い根本的・全霊的な交渉は、そう長く続けられるものではない。
( )     
30. この動物との交流によって、楽長に叱られて気分が滅入っていたゴーシュが人間的な暖かい感情を取り戻す。
( )
問十七 ゴーシュの楽器は、バイオリンやピアノではなく、なぜセロ(チェロ)でないといけなかったのか。その理由が分かる段落(形式段落。便宜上の文章番号ではない)の最初の5文字で答えよ。
(     )
問十八 この物語に登場する動物の中で最も重要な動物はかっこうであるが、その理由を二つ考えよ。
(          )
(          )
問十九 ゴーシュのセロが病気を治す(49)とは、どういうことか。次の空欄D・E・Fに当てはまる表現を答えよ。特に、字数の制限はない。
楽長に叱られたりして気が滅入り落ち込んでいるゴーシュが、(D)ことによって、ゴーシュ自身の(E)ことが、動物たちの(F)ことにもなっている。
D (        )
E (        )
F (        )
問二十 楽長や楽団員たちは、何故アンコールの演奏をゴーシュにさせようとしたのか(60)。その理由を次の中からひとつ選んで記号で答えよ。( )
ア みんな第六交響曲の演奏の予想もしなかった大成功にすっかり上気していたので、アンコールを演奏するは誰でもよいと思ったから。 
イ アンコールの演奏はプログラムに載っている演奏と違って、特に上手な演奏でなくても構わないだろうと考えたから。
ウ 練習のときにいつも足を引っ張っているゴーシュに、アンコールでひどい演奏をさせて恥をかかせてやろうとしたから。
エ 第六交響曲の演奏が思っていた以上に出来ばえがよかったので、いつも足を引っ張っているゴーシュのセロの演奏に何か大きな変化があったのではないかと考えたから。
問二十一 
① この物語について次のように短くまとめるとすれば、空欄Gに入る適当な語を漢字二字で答えよ。
ひとりの演奏家(芸術家)の(G)
(  )
② また、その契機になったものをふたつあげよ。
(          )
(          )

2016年1月1日金曜日

「まっしろいこころ」に書き加え

まっしろいこころ」( http://gorom8.blogspot.my/2015_09_01_archive.html )に少々書き加えた。赤い背景箇所。一箇所。