2015年1月30日金曜日

「考える力を育てる」についての補足

自我の問題」(http://gorom8.blogspot.com/2015/01/blog-post.html)でふれた「考える力を育てる」(http://moriyamag.blogspot.com/2013/12/blog-post_6483.html)に、新たに付け加えたところがあります。第5段落と第6段落の青いフォントの箇所。計2箇所。

第5段落の努力について
 河合隼雄が本当に努力していたのなら、「私は真剣です。この心理学を日本中に広めなければならないのです。そのために私は命を懸けています」とでも言ってみればよかったのだ。しかし言えまい。そのくせ、すさまじいばかりに狂信的になる。これはいったい、どうしたことか。  
 “Jungian”やユングファンは、例外なく狂信的・盲信的になる。そして人にストーカー的な行為をさえ行うのである。彼らの狂信や盲信が、いかに内実のない空虚なものであるかは明らかである。狂信的な、創価学会のような“cult”の信者と同じような心性なのである。A大学でユング派による詐欺犯罪の被害に遭ったが、あのとき実行犯であったK教授は、ユング心理学の話をするとき、頬の筋肉をはじめ顔中の筋肉が緩み、眦は下がり、ほちゃほちゃとして、まるで初孫を見るおじいさんのような顔になっていた。なんとなく好きなんですねえ、と河合隼雄のファンになっていった人も結構いるのではないだろうか。これは、“sentimental”にすぎない。“sentimental”な感情か情感というものは、極めて危険な面をもっている。この“sentimental”については、後に機会があれば述べることがあるかもしれない。このような、あやふやな情感か情動によって、理性的に考えるのではなく、多くの人が恐ろしいユングファンになっていった。第二次世界大戦前夜に、多くのドイツ国民が、ヒトラーに心酔し信奉したのとまったく同じではないか。ユング派は、スイスのチューリッヒにあるというユング研究所で、おどろおどろしい秘儀(秘密の儀式)に耽っているのである。ユング派の“分析”(分析と呼ぶこと自体、おかしい)は、とりも直さず秘儀と呼ぶしかない。来る日も来る日も薄暗い部屋にひとり閉じ籠って、壁に向かって何やら訳の分からないことを、ぶつぶつ呟いていて、それで精神が健全になるわけがないではないか(教祖のC・G・ユングの個性化)。河合隼雄が人から「よく努力しますね」と言われたときに、人を馬鹿にしたふざけた受け答えをしてしまったのは、きっぱりと、「私はこれに命を懸けています」ということができなかったのである。ユング心理学が、いかにいんちきな邪教であるか、ということである。ふざけたやつらだ。

第6段落の弓矢の技術について
 前に、大昔の弓矢の技術について、歴史学的・民族学的・民俗学的観点から見れば(民俗学は、ちょっと違ったかな)、僕の記述はおかしいという指摘を受けた。確かに間違っているかもしれない。しかし僕は、この箇所を削除するつもりはない。日本人は農耕民族である。獲物を求めて、弓矢などの武器を携えて山野を駆け巡っていた事実が大昔にあったかどうか、確かにわからない。だけど、この箇所の記述は、日本人の場合に限定しているわけでもない。たとえばヨーロッパ人の場合、弓矢の技術の向上は、それこそ“命を懸けて”努力をなされたのであろう。

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2015年1月28日水曜日

自我の問題

 最近、名古屋大学の女子学生が殺人事件を起こしたようだが(新聞報道参照)、この学生は小学校と中学校の9年間、道徳の副教材「心のノート」を学習していたはずなのに何にもならなかった、ということになる。道徳の副教材「心のノート」は、徒労であったにすぎず金の無駄遣いにすぎなかったのである。
 名大生の事件こそ自我の問題そのものではないか。“Kenkou Houshi”がいっていることと同じではないか(「自我を失ったら4」http://gorom2.blogspot.com/2015/01/blog-post_25.html)。自我が育っていないのである。
 自我を強化するためには、考える力を育成することが肝要である(「考える力を育てる」http://moriyamag.blogspot.com/2013/12/blog-post_6483.html)。不道徳で反社会的な河合隼雄に道徳の副教材「心のノート」を作成させて日本の子ども全員に配布する金があるのなら、その金を国語教育の充実に注ぎ込んだほうが、はるかに建設的であろう。国語、とりわけ現代国語こそ考える力を育てるに最適の教科である。その次が数学である(「考える力を育てる」http://moriyamag.blogspot.com/2013/12/blog-post_6483.html)。
 この学生は名古屋大学生だから、かなり高い学力の持ち主である。国語や数学の成績はわからないが、国語や数学が不得意科目であったとしても、ある程度の水準には達していたはずである。それなのに何故自我が弱く、育っていないのか。教育のあり方そのものが、根本的に問われているとしか考えられない。国語の授業も数学の授業も、生徒の自我を育てるのに資していないのである。学校でユング派の書いた文章を読ませたり、大学入試でユング派の文章を問題文として出題していては駄目なのである。教育そのものを根本的に見直すべきだ。

WILDFLOWER

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