2015年2月28日土曜日

ひとまず退却する2

少々、自我を死守せよ(http://gorom2.blogspot.com/2015/02/blog-post_27.html)にも書き込みがあります。最後に緑の背景。

「おっさん、おっさん」
「なんじゃい。あれ。何でまた来たんだ?」
「へへへ。ちょっと忘れ物してましてな」
「ふーん。忘れ物ねえ。ところで、おめえ。お昼に何食った?」
「・・・・」
「道を歩きながら時々、俺の家は確かあそこの角のところを右に回ったんだよな。左じゃあなかったよな、と独り言を言っていないか」
「・・・・」
「ボケが始まったようだな。お前も苦労したからのう。」
「・・・・」
「それで、その忘れ物というのは、いったい何なんだい?」
「・・・・」
「こりゃあ重症だ」
「ちょっと待ってください。今、胸に手を当てて、ようく考えてみますから。・・・・。そうそう、思い出しました。どうか、ご安心ください。おっさんね。どうして退却したのかい?」
「ああ、それはな。うーむ。退却という言葉の定義を知っているか?」
「それは、しりぞくという意味でしょう」
「一般的には、それでよい。しかしな、特殊な意味もあるのだ。よし、今日はお前に特別講義をしてやろう」
「はい、森山教授。どうかよろしくお願いします」
「言っておくがな。わしは、そこらの無能教授と違うぞ。」
「ハーイ、よーく分かってますです。ハーイ」
「そもそも大学の講義というものはだな。学生が前もってテキストや基本書に目を通して予習していることが前提である。その前提がなければ、ただの授業になる。大学で授業なんかやっているから、無能教授だらけになるのである。これはな、学生が悪いのだ。バイトだパチンコだといって、一日中、遊び呆けている。試験の直前に他人のノートをコピーさせてもらって、単位だけちゃっかりもらおうとする。勉強する気がないのなら、大学生になんかなるな。勉強もしないで卒業証書だけちゃっかりともらおうというのでは、そんな紙切れ一枚にどんな価値があるのか。わしはな、遠山敦子という女子学生に、専門外の法律の講義をしてやった。この学生は怠け者でぐうたらぐうたらしておるから、法律の初歩から手を取り足を取りして教えてやらなければならなかった。理解力の低い学生でな、懇切丁寧に教えてやっても中々理解できないのだ。いやあ、疲れたぞ。講義ではなく授業を行なわなければならなかったのだ。それなのにな、このいかれ学生は、わしの授業を受けても感謝もしない。ありがとうございましたの一言も言えないのだ。あきれたものだ。しかも、授業料さえ払ってはおらん。このぐうたら女子学生は、驚くなかれ、後に文部科学大臣になったぞ。いやあ、わしゃあ腰を抜かすほど驚いた。講義の前に基本書やテキストを読み、講義の後に図書館などに行って復習することができないような学生は、さっさと退学せよ」
「森山先生」
「なんじゃい」
「ひとつ質問してもよろしいでしょうか」
「質問だと?アホンダラ。話はこれから佳境に入るところだ。質問なんかで水をさすな。だいたいな、大きな顔をして質問するだと?なんだ、そのぞんざいな態度は。もっとな、他人に対する優しい態度、思いやり、こまやかな心遣い、愛情あふれる態度というものを身につけるべきである。もしもな、有能教授のわしがお前の質問に答えられなくて立ち往生したらどうする。そうなったら、わしは駄目人間になってしまうではないか。この世の終わりがやってくるではないか。もっと人にやさしくなれ、アホンダラ」
「なにもそんなにポンポン、ポンポン言わなくても。いえ、先生。どうもさっきから考えていたんですけど。講義の内容が、いつのまにか違ってきているような気がしてならないんですけど」
「なんだと?講義の内容が違うだと?おかしいな。どこで違ってきたのかな。おい、学生君。わしは何の講義をしていたのかな?」
「有能な森山教授。お忘れになったんですか」
「・・・・」
「先生。今日のお昼に何食べましたか」
「・・・・」
「ほらね。ボケかかっていますよ。先生はね、合戦の話をしようとしていたんですよ」
「合戦か。合戦というと、いろいろと面白い話があるな。松山城(これは高松城の間違い)の籠城、風林火山、毘沙門天、川中島の戦い、真田昌幸、上田城の攻防、義経の鵯越、義仲の倶利伽羅峠、富士川の合戦。」
「あのね、先生。そんなんじゃなくて、退却という言葉の定義の話でしたよ」
「おお、そうかそうか。はいはい、ちゃんと思い出しましたよ。どうか、ご安心ください。えっへん。そもそも、退却という用語には、ただ単に、尻尾を巻いて逃げるという意味のほかに、極めて重要な特別の意味が存するのである。学生諸君、きちんとノートしておくのだぞ。もしかしたら、試験に出るかもしれないぞ。その重要な特別の意味とは、退却とは一旦しりぞくかに見せかけて、折を見て隙を見て敵を急襲することである。どうだ、ノートとったか」
「はい、先生。ちゃんととりました」
「よろしい。今日の講義は、ここまで」
「おっさん。これが講義ですかい。なんか、授業よりレベルが低いような気がしてきた」
「なんだと。失礼なことを言うな」
「はいはい。よくわかりました。有能教授と無能教授の違いは、無能な教授は自分は無能だと自覚しているに対して、有能な教授は、本当は無能なくせに自分を有能だと誤解している人種の人である、ということでよろしいんですね」
「この野郎。水ぶっかけてやろうか。いや、無能教授と有能教授との間の一番大きな違いはだな、教育面に表われてくる。無能教授は研究できないけれども、学生をきちんと教育しているかというと、必ずしもそうとはいえない。だいたいな、学生を研究室に呼んでだな、学内のいろんな人のプライバシーに関わるような噂話、悪口、陰口をたたいている。大勢の学生が見ている前で、古狸におべんちゃらをいう。これはな、教育者としても失格だ。つまり、研究者として役立たずな教授は、教育者としても役立たずなのだ。本業で仕事ができない者が人を教育できるわけがない。
「ふんふん、成程。それで、おっさん。無能な小島教授にどうして詐欺の被害に遭ったのか、まだ分からないのか。」
「いや、それは分かった。」
「え?分かった?いつ?」
「一昨日だ」
「ほう。それで、どうする?」
「どうもしやしない。分かったからといっても、これまでと特に変わるわけではない」
「ユング派のほうは?」
「それも分かった」
「いつ分かった?」
「一昨日だ」
「ということは、同時に分かったのか?」
「そうだ。一連のからくりが全部わかった。根は同じところにある。全くものを考える力のない者が、格好つけやがって。センチメンタルなヒューマニズムというものは、時として極めて危険であるということが、考える力のないものには分からないようだ。センチメンタルなヒューマニズムは、人間愛からは遠い。愛からも遠い。そしてセンチメンタルなヒューマニズムは、えてして人を踏み潰してしまうことがある。殺人さえも犯してしまいかねない。だから、ものを考える力をつけよ、と言っているのだ。

 恐ろしい、偽善的なユング派を早く叩き潰してください。僕とユング派とは、倶に天を戴かず、です。
 ユング派がストーカーのように見えだしてから、つまり元々のストーカーにユング派が加わり協力するようになってから、もうかれこれ二十数年経ちました。ストーカー行為をされていれば、現実を失います。現実を失えば、自我が危殆に瀕します。その間、極寒の世界でたったひとり震えていました。外国に逃げても、やつらが追いかけてくるということは、日本以外の国の“Jungian”が協力している可能性があります。どうか、世界中の“Jungian”を叩き潰してください。“Jungian”は、どの国の“Jungian”であっても非人間的です。

2015年2月27日金曜日

ひとまず退却する

 このたびの城攻めは、囲みを解いてひとまず退却する。この城攻めの目的は、敵将の佞臣小島山城守勝を討ち取ることであった。だが、人格高潔な森山としては、このようなことにはとても堪えられそうにない。

「おっさん、おっさん」
「なんじゃい。あっ。お前か」
「ヘヘヘヘ。久しぶり」
「なんで来やがったんだ。随分、長い間現れないので、ほっとしてたんだぞ。これで、やっと心静かな心豊かな毎日が送れるとな」
「へへへへ。ところで、おっさんは、人格が高潔ですかい」
「え?うん、まあな」
「おっさん。言わはることが年をとるにつれて、だんだん変になりましたなあ」
「え?そうかなあ」
「ほら、若い頃から変人や、変人やと言われてたでしょう。年とったら、変人ぶりに磨きがかかってきましたなあ。立派なものですよ」
「そりゃあ、おめえ。人間、努力しなければ一人前にはなれん」
「それからね。物忘れがひどくなったのとちゃいますか?今日のお昼に何食べました?」
「・・・・」
「ほらね。歩きながら、この動物はたまに見かけるけど、何という名前だったかな、と独り言を言っているでしょう?」
「・・・・」
「かなりの重症ですな。ボケが始まってるんですよ」
「そうかなあ」
「それから、身体中あちこちガタがきてるのとちゃいますか」
「うん」
「苦労しはりましたからなあ。恐ろしい目にあって。身体も心もボロボロですな。とても長生きなんかできないでしょうなあ」
「あれ!お前、いつもと様子が違うぞ。どうした。熱でもあるのか」
「いやね。それじゃあ元気で。バイバーイ。」

2015年2月26日木曜日

穴から出ておいで

 たとえば、僕が三流大学の教授に採用されたとする。果たして2か月か3か月もつかどうか。
 僕を採用してくれた人の中心人物が、ある古狸の教授だったとしよう。僕が真っ先にやらなければならないことは、その古狸に日参することである。ここで手を抜いてしまうと、大変な災難が待ち受けている。古狸は、つむじを曲げてしまうのである。ひとたびつむじを曲げた古狸は、決して元には戻らない。曲げっぱなしなのである。古狸は、巣穴に閉じ籠ってしまい絶対に穴から出てこない。穴の前に、おいしそうなご馳走を並べて、ほら出ておいで、古狸ちゃん早く出ておいで、といくら誘っても無駄なことである。なぜなら古狸ちゃんは、巣穴の中にちゃんと食糧を備蓄しているからである。古狸ちゃんは運動もしないで食っちゃ寝、食っちゃ寝ばかりしているものだから、そのうちにだんだん太ってくる。おなかも三段腹になってくる。そうすると、ある日突然、よし穴から出てやろうと決意しても、クマのプーさんみたいにおなかまわりの直径が穴の直径よりも大きいものだから、穴から出られないのである。
 僕は正直なところ、国文学が専門の大学教授になりたかった。だけど、僕が採用された大学が三流の無能教授だらけの大学だったら、きちんと研究業績をあげることができたとしても絶対に長続きしないだろう。だいたいにおいて僕は子どもの時分から無愛想でかわいげがなかったのであり、人に心にもないお世辞を言う芸当は、とてもできそうにない。1回や2回ぐらいなら、無理してでもぶきっちょに言えるかもしれないが、それが毎日のようにずっと続けなければならないとしたら、完全にお手上げである。
 無能な古顔の教授は、心にもないお世辞やおべんちゃらを言われると、それがお世辞だということが見え見えだとしても、心にしみてうれしく感じる。これはこの古狸が無能であるが故に、自分の本業において何の仕事もしていない、何の成果も挙げていないことに強い劣等感にさいなまれているからである。そこでこの教授は本業のほうをそっちのけにして、自分の受け持ちの講座内の雰囲気にばかり気を使うようになる。その雰囲気は、自分を持ち上げ称賛さえしてくれるものでなければならない。このような雰囲気に少しでも適合しない人物がいれば、たとえ有能な人物であっても容赦なく粛清される。あとに残るのは、自分と同じように無能な人物ばかりである。自分が退職するときには、当然、自分と同じように無能で巧言令色を地でいくような人物が指名される。こうして無能教授は再生産され続けていくのである。おそらく永遠に。
 “Jungian”には自我はない。そして龍谷大学文学部の小島勝教授はほとんど“Jungian”といっていいのだから、小島教授には自我がない。自我がなければ、仕事において有能でありうるはずがない。
 このような本業で仕事のできない人物を長年にわたって雇用することは、いかに社会的損失が大きいか、文部科学省はちゃんと考えてもらいたい。

龍谷大学。早く犯罪の後始末をしてくれ。俺が龍大に何をしたのか。どうして詐欺に遭わされられ、犯罪の被害を訴えても返事もくれないのか。何故ユングかぶれした非人間的な小島勝教授の詐欺犯罪に遭わなければならないのか。どうして犯罪者をかくまい、被害者が訴えても相手にしないのか。いったい何が理由で、ここまで蛇蝎のごとく嫌われ憎まれなければならないのか。僕は大学院に入学する前までは、顔は知ってはいたが小島教授と直接話したことがなかった。小島教授とは、大取教授の紹介で知り合ったようなものである。僕は、どうしてこんな人物に詐欺犯罪の被害に遭わせられなければならないのか。無能教授、無能教授とひどいことをいっているが、僕を逆恨みするのはお門違いだ。冷酷で非情な文学部の小島勝教授に学内で犯罪行為を受け、それをいくら訴えても相手にされない。頭にくるのは当たり前だろう。小島教授の犯罪は、もっと大きな犯罪の一環として行なわれたものであり、その大きな犯罪は僕の人生をめちゃくちゃにしてしまった。そして常に生命の危険にさらされている。無能教授、無能教授と言っているのは、龍大の文学部の無能な小島勝教授の教育学専攻と国文学専攻だけを見た上での話しだ。僕は、このふたつの専攻しか知らない。他の学部や専攻については、何も知らない。どうか安心していただきたい。

 どうも小島教授の夫人が怪しいのではないかと思う。夫人は、河合隼雄の弟子でユング派である。小島教授とユング派の接点がここにあるのだろう。しかし、これはもう僕にはいかんともし難いことである。龍谷大学は、なぜ小島教授夫妻を庇うのか。

2015年2月25日水曜日

龍谷大学2

龍谷大学は、ユング派や文部科学省のストーカー行為に協力しているのか。威されたのか。何か見返りをちらつかせられたのか。いったい俺にどんな恨みがあるのか。


龍谷大学長殿
龍谷大学理事長殿
龍谷大学理事殿

 龍谷大学構内で発生した、文学部の小島勝、大取一馬両教授による詐欺事件について、速やかに後始末をつけてください。時効にはなっていません。現在進行中の犯罪行為の一環です。
 文学部教育学専攻の小島勝教授(これまでK教授と呼んでいた)にだけはメールしない。この人は、かみさんが河合隼雄の弟子のユング派で、自分もユング心理学や河合隼雄の大ファンになったから、ほとんど“Jungian”と同じである。人間の言葉が通用しないのだ。何を言っても無駄だ。暖簾に腕押しなのだ。人間と決して心が通じ合わない毛虫かゴキブリに話しかけているみたいなのだ。こういうやからとは、話したくもない。顔を見たくもない。

「文部科学省」に書き加えがあります

文部科学省」(http://gorom2.blogspot.com/2015/02/blog-post_24.html)に書き加えがあります。赤い背景。一箇所。

2015年2月24日火曜日

ふたたび書き加えました。

 「龍谷大学」(http://gorom8.blogspot.com/2015/02/blog-post_19.html)に書き加えました。赤い背景。一箇所。

去り行くアニマ」(http://gorom8.blogspot.com/2015/02/blog-post_89.html)にも書き加えました。最後の段落。赤い背景。

2015年2月19日木曜日

龍谷大学

 京都の龍谷大学(今までA大学と呼んできた)は、早く犯罪の後始末をせよ。大学の体をなしていないではないか。犯罪大学のくせに大学を拡充しようという試みは許さん。もしかして、文科省とつるんで何か悪事を行なっているのか。なんで無能教授だらけの犯罪大学が拡充を許可されるのか。何の論功行賞なのか。これから、しつこく、うるさく早く犯罪の後始末をしてくれと言ってやるからな。可能な限りの教職員全員にだ。俺はもう、することがないので暇で暇でしようがないのだ。殺されて死ぬまでの、結構な暇つぶしができたというものだ。ええ?何だって?メールが来るのが待ち遠しい?メールが来たら、えらいうれしいわあ?・・・・ありゃあ、こんなので効果あるやろか。

 大学の拡充とは、学部の増設のこと。自分が犯した犯罪の始末さえつけられないものが、自分の身の丈を大きくするのか。文部科学省は、大学が無能な教授を大勢雇うことを奨励し、大学が犯罪行為をなすことを煽っているのか。

 それから、龍大の設立母体である西本願寺はんにもお願いさせてもらいまっせ。何度かお願いしてますがな。覚えてはりますやろ?へへへへ。え?はよう、メールちょうだい、だと?・・・・ありゃあ、ここも駄目か。効果見込めんわい。